「看護の日」に思うこと

2014/05/12

岡山 寧子(社会システム学科 教授 / 2015年4月設置計画中 看護学部長就任予定)

毎年5月になると、あちこちで「看護の日」のポスターが目にとまります。また、地域では「1日まちの保健室」や「出前授業」、病院での「ふれあい看護体験」など、様々な看護にちなんだイベントが開催されます。この「看護の日」は、ちょうど今から25年前、市民・有識者による「看護の日制定を願う会」の運動をきっかけに、当時の厚生省により制定されたもので、そのテーマは、「看護の心をみんなの心に」です。日本看護協会ホームページに掲載されている「看護の日の制定を願う会」の要望書の一部を紹介しますと、「看護の日は・・・・・看護の心、ケアの心を、ひろく国民の、女も男も等しく分かち合い、特に21世紀の高齢化社会を担っていく子供たちにも、その心をはぐくんでいきたいというつよい願いから発するものです。・・・・・家庭の中には肌と肌の暖かなつながりのある世話(ケア)があり、地域社会には扶けあいがあり、健常者が一人一人の務めとして心や身体に障害のある人々を守り、医療者はキュアとともに患者である一人の人間へのケアの心を大切にする、こうした意味での看護の心です。・・・」とあり、看護を知るだけでなく、皆が看護の心をはぐくんでほしいという思いが込められています。

ところで、「看護の日」はフローレンス・ナイチンゲールの誕生日5月12日と定められています。彼女は、19世紀の中頃、はじめて「看護とは何か・看護の方法・看護の自立」を明確に示し、看護を専門職として確立した「近代看護の母」といわれる存在です。彼女の書『看護覚え書:Notes on Nursing』は、看護を学ぶ者は誰もが一読する「看護のバイブル」となっていますし、その看護マインドは、現代の看護実践にもしっかりと引き継がれています。ロンドンにある「ナイチンゲール博物館」には、今でも世界中から多くの訪問者があるということです。

 

日本では、すでに明治の初めには、彼女の書物や活躍が広く紹介されていますし、生前のナイチンゲールに直接出会った日本人もいることが知られています。誰が出会ったかは諸説がありますが、長門谷洋治氏は石黒直悳、佐伯理一郎、津田梅子、安井てつの4名と述べています(『ナイチンゲールに会った日本人』看護教育:10(12)、1969)。この中で、同志社と深い関わりを持つ佐伯理一郎は1890年5月に出会っています。医師であった佐伯は、新島襄が設立した京都看病婦学校を、新島の死後引き継ぎ、約50年間、学校長として看護教育の発展に尽力した足跡があります。ナイチンゲールに出会ったのは学校長になる少し前だったようで、それは彼にとって大きな力になったと想像できます。また、京都看病婦学校は、ナイチンゲールのもとでの研修経験を持ち、アメリカ最初の訓練看護婦であるリンダ・リチャーズを看護監督者として迎えて看護教育を開始したことはよく知られています。佐伯とナイチンゲールの出会いの様子は、雑誌『看護』1950年5月号にインタビューの形で掲載されています。その記事の中に、佐伯がナイチンゲールに、リンダ・リチャーズの日本での活躍を伝えると、彼女は「She is my good friend!」ととても喜んだ・・という興味深い記述がありました。ナイチンゲールと佐伯やリチャーズ、そして同志社との不思議なご縁を感じます。

この不思議なご縁を胸に、改めて『看護覚え書:Notes on Nursing』をじっくりと読みながら、「看護のこころ」を考える「看護の日」にできたらと思います。

 

※所属・役職は掲載時のものです。