蘆花と久栄の禁じられた恋と 小説『黒い眼と茶色い目』の深み

2013/11/18

村瀬 学 (人間生活学科 教授)

 

徳冨蘆花(当時は徳富健次郎)と山本久栄の間に、禁じられた恋がはじまります。明治19年、蘆花19歳、久栄15歳。久栄は、山本覚馬と時栄の娘でした。大河ドラマでも描かれたように、覚馬の妻・時栄の「不義の疑惑」が元で離縁され家を追われ、残された久栄が熊本から来た若き徳冨蘆花と恋に陥るという展開になっています。「不義」の出来事は、おおむねは「事実」のようにされていますが、それは戸籍の上で「離縁」という「事実」が残されてきているので、「離縁」という一大事が起こるためには、きっとそれ相当の出来事があったからだろうということになるわけで、そこに母・時栄の「不義」説の出てくる理由があります。しかし現在の私たちには、本当のところは「わからない」というのが「事実」です。では「わからない」のに大河ドラマでも、時栄に「不義」があったかのように描いていたではないかと言われるかも知れませんが、それは徳冨蘆花の小説『黒い眼と茶色い目』にそのように読み取れる描写がなされているからでした。この小説をどのように理解すれば良いのかは、後で述べるように本当はとてもむずかしいのです。

この小説は初期の同志社を内側から描いたスキャンダル・ドキュメントのように読まれてきたのですが、丸本志郎氏の執念の追跡調査(『新島研究』71号)で、「事実」ではない記述がいくつも指摘されてきました。中野好夫氏も丸本志郎氏の批判を受けて、大部の伝記となる『蘆花徳富健次郎』筑摩書房を後日訂正しています。丸本志郎氏は時栄の身の潔白を主張し、中野好夫はそれでも「不義」は疑えないような書き方をしています。当然私たちは、そのどちらも確証するすべをもちません。「謎」としておくしかありません。

大河ドラマでは、山本家を追われた時栄が、すぐに神戸に行ったようにされていますが、これも丸本氏の追跡で、離縁は明治19年で、実際には明治26年にまず堺に移り、明治28年に神戸に移ったということがわかっています。ということは堺に移るまでは京都にいた可能性があります。そして蘆花と恋に落ちて、婚約を破棄された久栄が、若くして亡くなるのが明治26年7月20日、時栄が京都を離れたのがその前日の19日となっています。この悲劇の親子に、離縁後どれだけの交流があったのかは分かりませんが、おそらく娘、久栄の死を知って、母・時栄が京都を離れたと考えるのが筋が通るように思われます。もちろん、これも憶測に過ぎませんが。

今回この一文を書いていますのは、何かしら漠然と「歴史」に関心があるからではありません。幕末から明治にかけて生きる女性たちを描くドラマ「八重の桜」を通して、はじめて丁寧に描かれた山本時栄という女性に、もっと関心を寄せても良いのではないかと思えるところがあったからです。八重という女性の生き方は、丁寧に論じられるのに、20年も彼の兄を支え続けてきた時栄という京都の女性をもっと知ろうというふうにならないのは、様々な生き方をしてきた女性を知るためにも残念に思えます。

丸本志郎氏は、会津からやってきた武士に出自をもつ山本覚馬ファミリーと、新島ファミリーと、熊本からやってきた横井小楠の一族のファミリーの狭間で、何の後ろ盾ももたずにひたすら覚馬に寄り添ってしか生きざるを得なかった京都の時栄の苦悩があったはずだと丸本氏は真っ当な主張をされ、彼女を弁護されています。彼の主張が、京都人による京都人の時栄擁護のように見えるのかは、私たちの関心の持ち方次第です。

それでも「離縁」され、その原因に「不義」を疑われるような女性の生き方などに、共感も関心も持つことはできないわと思われるかも知れません。百歩譲ってもし「不義」があった女性として時栄がいたとしたら、そういう女性の生き方には何も見るものはないのでしょうか。英文学の先生達は、下半身が不自由な夫を支える妻の前に現れた男と「不義」を重ねる「チャタレー夫人」の意味を熱っぽく論じる時代があったことを知っておられます。それはそれ、でも時栄はだめ、ということなのか・・・。私にはよくわからないところです。

話は最初に戻しますが、蘆花と久栄の恋がありました。熊本からやってきた秀才の兄、徳富蘇峰の弟、健次郎(蘆花)が、久栄と恋に陥り、婚約をし、破棄をします。その6年後に久栄は亡くなります。若者の恋の話ということなら、当時も今も掃いて捨てるほどあるわけですが、この恋の出来事が『黒い眼と茶色い目』という小説になったので、後世の人が知ることになりました。もちろん、小説になった恋の話なども星の数ほどあるわけで、蘆花が小説にしたからどうだということは何も無いのです。ただ、この小説は「問題」を起こしてきました。その「問題」とは、表向きは、初期同志社の内幕を暴露したスキャンダル小説として登場していたからというようなところにあります。また、丸本志郎氏が強烈に批判したように、モデル問題に重大な作為があったということもあります。しかし、この小説の「問題」は、そういう所とは別なところにあったように私は感じてきています。

この小説の恐ろしさ、その深淵の一端を明らかにしたのは、伊藤彌彦「うじうじした恋─徳冨蘆花『黒い眼と茶色い目』を読む」(『明治思想史の一断面』)だったと私は思うのですが、そこで伊藤氏は、蘆花が子どもの頃に乳母から受けた性的なもてあそびが原因で、深く傷つき、彼の人格形成やその後の女性との関係の形成に決定的な影響を与えていることを論じておられます。そこは大変興味深く大事な所です。私はこの事実を踏まえてこの小説は読まれるべきだと思うのですが、それでも伊藤氏の触れていないところにも言及しなければなりません。それは蘆花が『黒い眼と茶色い目』の中の二箇所で、二葉亭四迷の『浮雲』を読んでいることに言及し、その小説の主人公「文三」にまざまざと自分の姿を見ていることを書いているところです。この『浮雲』も別の意味で空恐ろしい小説です。こんなものを書ける人がいたのかと思うような小説ですが、若き蘆花が読んでびっくりし、自分のことが書かれていると感じたのはとてもよく分かる気がします。

「問題」は、蘆花がこの『浮雲』のどこに自分を見たのかということなのですが、それは蘆花の『黒い眼と茶色い目』がどんな風な経過で書かれたのかの理解に関わってきます。久栄との恋は、19歳、20歳の頃の恋でしかないものですが、それを蘆花は何度か記録に残し、そのつど破棄しています。そして思い立ったように47歳という歳になって、改めて一気に書き上げています。そしてその原稿を妻の愛子に清書させたりしています。ここがこの小説の成り立ちの異様なところです。なぜこの歳になって若気の至りですむような恋の話を、妻を巻き込んで小説にしなければならなかったのか、という疑問。

そこには彼の特有のキリスト教の理解が関わっていると思われます。私がこの小説を恐ろしいと感じるのはそこに理由があります。当時の彼は、彼特有のキリスト教観に基づき悔い改めて再出発をしようと考えていたところがあります。キリスト教に出てくる「懺悔(ざんげ)」という発想です。トルストイに会いにロシアまで行った蘆花ですが、トルストイにも『懺悔』という作品がありました。蘆花は、47歳になって「懺悔」のような発想で、若かりし頃の自分を洗いざらい書こうとしていたのです。

慶應義塾や早稲田大学など名門校の成り立ちにスキャンダルなところは取沙汰されないのに、同志社だけになぜそんなスキャンダルが小説として書かれるものが残っているのかと嘆かれた方がありました。『黒い眼と茶色い目』を同志社が読むことを禁じているなどといったデマが出たこともあったらしいです。しかし、この小説の理解は、思われているほど簡単なものではないのです。たまたま同志社の初期に、たまたま小説家がいて、彼がたまたま初期同志社を小説に書いたので、同志社の内情が一般に知られることになったという理解は、わかりやすいですが皮相な理解です。

この小説の恐ろしさは、初期同志社のスキャンダルを書き残したり、モデルを勝手に改ざんしたりしたところにあるのではなく、実は彼がキリスト者であろうとし続けたところに唯一の理由があったと私には思われてなりません。

彼が同志社で育ったという事、そしてキリスト教を深く理解しようとし続けたこと、その結果自分の犯したであろう様々なことを「懺悔」すべきだと考えていたこと、だから、とっくに過ぎ去って時効になっているはずの出来事を、まだ進行しているかのような感覚で「告白」しなければ収まらなかったところがあり、こういう発想は他の大学では起こりえないことだとも考えられるのです。同志社だけでなぜスキャンダル小説が書かれたのかというのではないのです、同志社という学校で学んだ学生が、自分なりにキリスト者としての自覚を深めていった結果、生んだ「告白小説」が『黒い眼と茶色い目』になっていて、この小説は、そもそもの同志社の成り立ちの問題と別のところにあるわけではなかったのです。

そのことは、明治の末期、デンマークの若き哲学者キルケゴールが、婚約者のレギーネとの婚約破棄をしたことを、自分の一生の後悔にして、膨大な著作集を書き続けたところに似ているように私には思われます。そこにはキリスト者であろうとし続けるものの言いしれぬ苦悩と不安があって、それがだから『黒い眼と茶色い目』を大変恐ろしい小説にしているのではないかと私には感じられています。そのキリストの存在の確信への疑いを、キリスト教抜きに描けば、実は『浮雲』になるのです。若き蘆花がこの小説に深く思いを寄せるのは、『浮雲』の下宿屋の娘「お勢」の本意の確実性をつかめないままに、揺れ動く「文三」の気持ちが、キリスト教の確実性をつかめずにいる自分の気持ちと重なって読んでいたからであろうと私には思われていて、なんとかそんな不安定だった頃の自分に決着を付けようと『黒い眼と茶色い目』を書くのですが、結局自分のもつ不確実性を、あいての久栄(作中では「寿代」)を悪い女と描くことで、自分をかばうような操作をしてしまっている結果になっているのです。そこは悲しい人間の性(さが)をみるようで、それゆえに私はこの『黒い眼と茶色い目』に恐ろしさを感じないわけにはゆきません。

ちなみに言えば、『黒い眼と茶色い目』の「黒い眼」とは、絶対慈悲の眼をもつキリストの眼のことで、小説の中では新島襄が唯一この眼をしているように描かれています。「茶色い目」は罪人の目で、久栄がその目で表されますが、それは蘆花自身の目でもありました。

 

※所属・役職は掲載時のものです。