「かえで」の古今東西

2020/11/06

吉海直人(日本語日本文学科 特任教授)

 

「かえで」という語を耳にした時、みなさんは何を思い浮かべますか。おそらく秋の紅葉を連想する人が一番多いかと思います。中には「かえで」という名の女の子を思い浮かべる人もいることでしょう。またカナダの国旗(「さとうかえで」という品種)やメープルシロップが想起される人もいるかもしれません。確かにカナダとの結びつきは強いようですね。ただし「かえで」のほとんどは、アジアに自生している植物でした。必ずしもカナダの専売特許ではなかったのです。なお南半球に「かえで」はほとんど生えていません。

ところでみなさんは、「かえで」を漢字で「楓」と書きますよね。実はこれは当て字のようなもので、古くは中国語を踏襲して「槭」と書いていました。ところがこの漢字が常用漢字にないことから、葉っぱが似ている「楓」で代用するようになったのです。今では「槭」の字など全く使われていません。

ここで質問です。みなさんは「かえで」と「もみじ」の違いはおわかりでしょうか。これはどうも古典に遡らないと答えが出せそうもありません。そもそも「かえで」という名称の由来はご存じでしょうか。これは案外単純な命名で、葉っぱが蛙の手に似ていたことから「かへるで」と称されたようです。古く『万葉集』には、

  わが宿に黄葉(もみ)かへる手見るごとに妹をかけつつ恋ひぬ日はなし(1623番)

と歌われています(『万葉集』では「黄葉」表記が一般的です)。この「かへる手」が後に「かへで」(かえで)になったというわけです。

それに対して「もみじ」は、特定の植物の名称ではありませんでした。前の『万葉集』を見ると、名詞ではなく動詞として「もみづ」(古くは清音「つ」)と使われています。この動詞、上代は四段活用で、平安時代以降は上二段活用に変わっています。清濁だけでなく活用まで変化しているのです。

それはさておき、もともとは冬が近づいて葉っぱが赤や黄色に変色することが「もみづ」だったのです。ですから「かえで」以外の植物(萩・蔦・銀杏など)にも使えました。その動詞の連用形「もみぢ」が徐々に名詞化し、「紅葉」と表記されるようになると、特に紅葉の美しい「かえで」を「もみじ」と呼ぶようになりました。その代表がカエデ科カエデ属の「イロハモミジ」でした(「イロハカエデ」とも称しています)。これは葉が七つに裂けています。現在は音読みの「こうよう(紅葉)」が、動詞「もみづ」の代用になっているようです。

では葉緑体を持っている葉っぱが紅葉するのはどうしてなのでしょうか。もともと葉っぱには黄色いカロチノイドという色素が含まれていました。けれども葉緑素(クロロフィル)が強い時には目立たなかったのです。寒くなって日照時間が短くなり、光合成が行われにくくなくなると、銀杏のように見事な黄色になります。これらは落葉樹が寒くなると葉を落とす仕組みの中で生じる自然界の摂理でした。また木への栄養分の供給がストップされた葉は、光合成によってアントシアニンという赤い色素を蓄積します。これは日当たりがいいほどたくさんできるので、紅葉に濃淡の差が生じるのです。もちろん紅葉はいずれ落葉します。一面に散り敷いた紅葉もきれいですよね。

なお「紅葉狩」という言葉は御存じですよね。これは「もみじ」を採取しに行くわけではありません。日本人の風流で、わざわざ紅葉を見物するために遠くまで出かけることをいいます。「がり」は「狩」ではなく「~のもとへ」という意味です。『源氏物語』などでは「紅葉見」と称していました。ところで高野辰之作詞・岡野貞一作曲の童謡「もみじ」はご存じですよね。一番の歌詞は、

  秋の夕日に照る山紅葉 濃いも薄いも数ある中に

  松を彩る楓や蔦は 山のふもとの裾模様

となっています。楓も蔦も赤く染まります。紅葉の名所としては京都が有名ですが、長野県出身の高野辰之は、信越本線の熊ノ平駅から見た碓氷峠の紅葉を念頭に作詞したそうです。

ついでながら秋の「紅葉狩」に対して、春には「桜狩」もあります。用例は『うつほ物語』にあるので、「紅葉狩」(『夫木和歌抄』初出)より古いかもしれません。いずれにしても古くは貴族の遊びでした。

 

 

※所属・役職は掲載時のものです。