「木枯らし一号」の季節になりました

2020/10/26

吉海直人(日本語日本文学科 特任教授)

 

「木枯らし一号」についてご存じですか。「春一番」が春の到来を告げるのに対して、「木枯らし一号」は冬の到来を告げる強風のことをいいます。

気象庁のとらえ方は、「春一番」とよく似ています。期間が10月半ばから11月末までに限定されているのも同様です。ただしこれは東京の場合で、大阪だと少し遅れて10月23日頃から12月22日頃までです。「頃」とあるのは旧暦の「霜降」から「冬至」までだからです。当然10月初旬や12月以降に吹いたものは対象になりません。それは季節感がずれるからです。風の向きはほぼ北寄りで、最大風速が秒速8m以上と規定されています。

この風の正体は冬の季節風でした。ここで東京と大阪の例を出しましたが、それは気象庁が関東と近畿だけしか発表していないからです。なんと「木枯らし一号」は、地域限定の気象現象だったのです。今年は23日に近畿で「木枯らし一号」が観測されました。なんと昨年より12日も早かったそうです。今年の冬は寒いかもしれませんね。

「春一番」と違うのは、気圧配置が見事に西高東低の冬型になっていることでしょうか。「春一番」同様、「木枯らし二号」や「木枯らし三号」もあるし、逆に吹かない年もあります。東京など暖冬のせいで、平成30年・令和元年と2年続けて発表されませんでした。惜しかったのは令和元年11月20日で、冬型の気圧配置などほぼ条件は揃っていたのですが、最大風速が7.2mとちょっとだけ弱かったので認定されなかったのです。

気象庁が観測を始めたのもかなり遅く、遡っても昭和21年以降の記録しかありません。そもそも「木枯らし一号」の初出は昭和31年10月20日とされています。それまでは「木枯らし一番」「木枯らしNO.1」「初木枯らし」などと用語はまちまちでした。それが統一されたのは昭和35年以降とのことです。

ということで「木枯らし一号」と「春一番」は対になりますが、もう一つ「木枯らし」と対になるものがあります。おわかりですか。それは「小春日和」です。誤解されることが多いのですが、「小春日和」は春が近づいた頃の天気には使いません。「木枯らし」が吹いて俄かに寒くなった後、また寒さが和らぎぽかぽか天気になることがあります。それが「小春日和」です。要するに「木枯らし」と「小春日和」は交互に訪れるものなのです。だからセットで覚えてください。

ところで「木枯らし」は案外古い言葉です。もっとも『万葉集』には見られないので、平安時代語ということになります。今のところ初出は『古今六帖』の、

  木枯らしの秋まつ風の吹きぬるをなどか雲居に鷹の声せぬ

とされています。それ以外に『うつほ物語』に2例、『枕草子』に1例、『源氏物語』に5例、『狭衣物語』に4例、『栄花物語』に2例などと使われています。この中では『源氏物語』帚木巻の「雨夜の品定め」で、左馬頭が体験談として語った浮気な「木枯らしの女」の話は有名ですね。

もともと「木枯らし」は木を枯らす(葉を落とす)風のことであり、「木嵐」が転じたものだといわれています。また国字の「凩」にしても、木を枯らす風の意味で造られました。特に俳句では「凩」を用いることが多いようです。冬の寒さ・厳しさ・緊張感が感じられるのか、芭蕉も蕪村も一茶も「凩」の句をたくさん作っています。

その中で、芭蕉と同時代の池西言水(ごんすい)の「凩の果てはありけり海の音」はよく知られています。「凩」は最後に海鳴りに変じるというものです。この句によって言水は「凩の言水」と呼ばれたそうです。この句を踏まえて山口誓子は「海に出て木枯らし帰るところなし」と詠じました。その背景には、第二次世界大戦末期における特攻隊員の姿が「木枯らし」に重ねられていたそうです。そう思うと随分痛ましい句ですね。

最後に楽しい「木枯らし」のことを紹介します。江戸時代において、「木枯らし」がすりこぎ(れんぎ)を意味する女房詞として用いられたという話です。季節には関係なく、単に木製のすりこぎに葉がついていないことによるのだそうです。なんとも愉快なネーミングですね。

 

 

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