「畠」と「畑」の文学史

2020/10/12

吉海直人(日本語日本文学科 特任教授)

 

みなさんは「畠」と「畑」を区別して使っていますか。現在、「畑」は常用漢字ですが、「畠」は常用漢字の中にはいっていません。もちろん人名漢字としては両方とも使用されています。では意味の違いとか、漢字の成り立ちはどうなのでしょうか。

まず知っていただきたいのは、「畠」「畑」ともに、いわゆる漢字ではないということです。かつて「畠」さんが中国の人に自己紹介したところ、これは漢字ではないといわれたという話があります。では漢字でないとすれば何でしょうか。

それはみなさんもご存じの国字です。国字とは、いわば和製漢字のことです。漢字ではうまくその意味を言い表わせない場合に、漢字を組み合わせて作ったのが国字というわけです。既に漢字に溶け込んでいますが、「辻」とか「榊」・「峠」・「裃」など、また「凧」・「凩」・「凪」、魚編の「鰯」・「鯰」・「鱈」あるいは「笹」・「粂」・「麿」・「俤」・「躾」・「働」なども国字でした。「人」が「動く」から「働く」なのです。

国字の見分け方の一つは、訓だけで音読みがないことです。「畠」も「畑」もその仲間だったのです。よく考えてください。音読みが思い浮かばないでしょう。もっとも「働」には「ドウ」という音読みもあります。ただしこれは「動」から借りてきたものでした。

かつて大学生の頃、私は第二外国語として中国語を学びました。テキストには中国の農家の話が出ており、そこに「田」が使われていました。私は日本人の常識として、「田」は中国でも水田(田んぼ)のことだと思ったのですが、実は違っていたのです。もちろん田んぼも含まれていますが、桑畑でも麦畑でも「田」として用いられていました。

中国では「田」と「畑」を区別していなかったのです。この言い方では誤解を招きかねませんね。要するに中国に「畠」「畑」という漢字はなかったのです。そこでようやく「畠」や「畑」が国字であることに気づきました。

それなら「畠」と「畑」の二つも必要ないですよね。どちらか一つで十分ではないでしょうか。わざわざ二つの国字が作られているということは、用途が違っているからだろうと考えるべきでしょう。

では漢字をよく見てみましょう。「畠」は「白」と「田」からできています。「白い田」というのは、どうやら「水のない乾いた田」という意味のようです。それに対して「畑」は「火に田」ですから、すぐに「焼き畑」農業を思い浮かべてしまいます。これは草や木を焼き払って作った「畑」のことだったのです。

そうすると乾いた「畠」は、水さえ入れれば「田」に戻ります。それに対して「畑」は焼いた草木の灰を肥料にするわけですから、毎年場所を移動しなければなりません。固定しているのが「畠」で、移動するのが「畑」ということもできそうです。

次に両者の年代的な変遷に目を向けてみましょう。調べてみたところ「はたけ」なら『万葉集』4122番にありました。しかしそれは漢字ではなく万葉仮名で「波多気」でした。「畠」という漢字は、「田畠」という熟語で『日本霊異記』や『源氏物語』(松風巻)に用例が見られます。また『和名類聚抄』という辞書にも出ているので、既に平安時代以前から使われていたことがわかります。それに対して「畑」の方は、平安時代の使用例が認められないので、鎌倉時代以降に新しく登場していることになります。

ということで、古くは「畠」だけが用いられていました。それが鎌倉時代に「焼き畑の」意味で「畑」が用いられるようになりました。ひょっとすると「畠」は「はたけ」で「畑」は「はた」と区別されていたのかもしれません。それがいつしか混同され、意味の違いも意識されないようになっていったのです。

逆に江戸時代になると、後発の「畑」の方が主流というか一般的に用いられ、「畠」をマイナーなものに追いやっていきました。いわば「畑」の下克上が生じたといえます。それが現代までそのまま続いているというわけです。確かに名字にしても、「畑」の方は「田畑」「畑田」「高畑」「中畑」「小畑」「畑野」があげられますが、「畠」の方は「畠中」「畠山」くらいしか思いつきません(もちろん互換性はあります)。名字でも「畑」の優位は変わらないようです。なお山口県には「畑畠」という名字もあるそうです。

 

 

※所属・役職は掲載時のものです。