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香りが記憶を呼び覚ますのはなぜ? 嗅覚と健康の深い関係

2026/09/24

五月待つ 花橘の香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする

『古今和歌集』に収められたこの歌には、香りをきっかけに、過ぎ去った時間や親しかった人の記憶がよみがえる瞬間が詠まれています。
フランスでは、このように味や香りをきっかけに過去の記憶が鮮やかによみがえる体験を「プルーストのマドレーヌ」と表現し、「あなたのマドレーヌは何ですか」と尋ねることがあります。これは、作家マルセル・プルーストの小説『失われた時を求めて』で、主人公が紅茶に浸したマドレーヌを口にした瞬間、幼い頃の記憶が次々とよみがえる場面に由来する言葉です。

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香りは、記憶の扉を開く

新しい教科書を開いたときのにおい、給食室から漂ってきたカレーのにおい、雨上がりの校庭のにおい、図書館で嗅いだ古い本のにおい―。ある「香り」に触れた途端、その頃の風景や一緒にいた人、そのときの気持ちまで思い出した経験はないでしょうか。
においは鼻で感じますが、「何のにおいか」「懐かしいにおいだ」と意味づけているのは脳です。鼻の奥にある嗅細胞がにおいの成分を受け取ると、その情報は嗅球を通して脳へ伝えられます。嗅覚の情報を扱う神経回路は、記憶や感情に関わる脳の領域と密接に結びついています。
そのため香りは、出来事だけでなく、そのときの感情や周囲の空気までを、ひとまとまりにして呼び起こすことがあるのです。

「味わう」ことも、実は鼻の働き

嗅覚は、食べる楽しみにも大きく関わっています。私たちが普段「味」と呼んでいるものは、舌で感じる甘味、塩味、酸味、苦味、うま味だけではありません。カレーらしさ、コーヒーらしさ、果物らしさといった複雑な「風味」には、香りが欠かせません。
食べ物をかむと、口の中で放出された香りの成分が、吐く息とともに喉の奥から鼻へ届きます。これを「レトロネーザル」といいます。鼻先から香りを嗅ぐ「オルソネーザル」とは反対方向から、食べ物の香りを感じる仕組みです。「レトロネーザル」は、味覚や食感などほかの感覚とともに、私たちが感じる「風味」をつくっています。
人間の嗅覚は、犬などの動物より劣っていると思われがちです。しかし、ヒトにも約400種類の嗅覚受容体があります。さらに、人間は一つのにおいを一つの受容体で感じるのではなく、複数の受容体の反応を組み合わせて多様なにおいをとらえています。また、鼻先から香りを感じる「オルソネーザル」と、口から鼻へ抜ける香りを感じる「レトロネーザル」という二つの経路を使って、食べ物の香りを豊かに楽しむことは、人間に特徴的な能力ともいわれています。私たちは、味覚や食感、香りを統合し、豊かな風味として味わっているのです。

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自分では気づきにくい「嗅覚の変化」

さらに嗅覚は、食事の楽しみだけでなく、暮らしの中のリスクに直結しています。焦げたにおいや煙、傷んだ食品など、生活の中の危険に気づく役割も担っています。
それほど大切な感覚でありながら、これまでに嗅覚を測定した経験のある人は、ほとんどいないのではないでしょうか。そして嗅覚の低下は、視力や聴力の低下に比べて自覚されにくいものです。少しずつ低下すると、その状態に本人が慣れてしまうため、「自分はにおいが分かっている」と思っていても、実際に測定すると予想以上に低下していることがあります。自己評価と客観的な嗅覚検査の結果が一致しにくいことは、研究でも報告されています。
また、「料理の味が以前と違う」「食欲がわかない」と感じても、それが嗅覚の変化によるものだとは気づかない場合もあります。嗅覚の変化は、鼻だけの問題とは限らず、脳や身体全体の健康状態と関係していることもあります。

「オルファクトリーフレイル」が教えてくれること

加齢などによって嗅覚の機能が低下すると、それに伴って食事、安全、活動、心理状態、人との交流など、暮らしのさまざまな面に影響が広がることがあります。私たちは、このような状態を「オルファクトリーフレイル」という概念からとらえることを提案しています。2025年4月にはこの概念をもとに、看護学だけでなく、耳鼻咽喉科、生理学、工学、美学の研究者が集結し、一般社団法人オルファクトリーフレイル学会を立ち上げました。
「オルファクトリー」は嗅覚、「フレイル」は心身の機能が弱まり始めた状態を意味します。嗅覚の変化を、身体や心、暮らし全体に関わる健康のサインとして考えることが大切です。本学会では、嗅覚を起点に、健康で安心な生活を支えることを目標にしています。合言葉は、フランス語の「La Vie en Rose(ラ・ヴィ・アン・ローズ)」をなぞった、「La Vie en Nose(ラ・ヴィ・アン・ノーズ)」です。鼻から、花ある人生を目指しています。

今日から始める「鼻からの健康習慣」

まずは、暮らしの中の香りに少し意識を向けてみてください。食事の前に香りを確かめる。季節の花や雨、土のにおいを感じてみる。家族や友人と同じ香りを嗅ぎ、「懐かしい」「好き」「私は少し苦手」と語り合うのもよいでしょう。 香りに目を向けることは、自分の健康だけでなく、誰かの記憶や人生に触れることにもつながります。急ににおいを感じなくなったり、これまでと明らかに感じ方が変わったりした場合には、耳鼻咽喉科などに相談することも大切です。

Quelle est votre madeleine de Proust ?
あなたの「マドレーヌ」は何ですか。

懐かしい香りにふれることから、「鼻から始める健康」について考えてみませんか。

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