
新たな気づきが生まれる場に。
万博は文化・ファッションの転換点 ー2025年と1970年の違いにも注目ー
2025大阪・関西万博では「未来社会の実験場」のコンセプトのもと、ファッションにも実験的なアイデアがちりばめられています。
例えば会場スタッフのユニフォームで特徴的なのは、性別にとらわれないジェンダーレスなスタイルであることです。どんな人も包み込み、動きやすく、着心地良く。体型の違いや障がいのあるなしに関わらず、快適に動けるユニバーサルデザインのユニフォームが多くのパビリオンで見られます。もちろんこの背景には、オーバーサイズの流行や、上質をさり気なく身につけるヨーロッパハイブランドのトレンドがあります。
ユニフォームから読み取るメッセージ
パビリオンによっては、バッグなどの小物づかいで、着る人それぞれの個性を生かして自由にアレンジできるユニフォームもあります。ジェンダーレスやダイバーシティ&インクルージョンといった社会的なキーワードがユニフォームにも表現され、それがコンセプトとして明確に打ち出されている点がEXPO2025らしさです。
来場者が着ていても違和感がないようなフラットな印象のユニフォームもあり、服で属性や役割を示す必要はない、フラットな未来を目指そうという企業のメッセージが伝わってきます。来場者の印象に残りやすいユニフォームは、企業にとって重要なコミュニケーションツールのひとつ。会場では、パビリオンだけでなくユニフォームにも注目してください。
最先端技術を生かした新しい素材が使われているのも万博ならでは、です。植物由来の材料で開発された繊維や自然に還る新素材、ペットボトルを再生したペレットを原料に利用するなど、地球環境への配慮、持続可能な社会実現への提案がなされています。
通気性の確保や紫外線カットなど、最新技術を駆使して快適性、安全性も追求されています。単にコットンやシルクの天然素材に代替するだけでなく、持続可能性への取り組みをコンセプトとして打ち出し、繊維・アパレル産業が「未来社会の実験場」としてチャレンジしています。
2025年大阪・関西万博(日本国際博覧会)でのNTTパビリオンスタッフユニフォーム
(引用元:NTTニュースリリース)
すべて欧米がお手本だったEXPO’70
では55年前、EXPO’70のファッションはどうだったのでしょうか。人類がいかに新しいモノを開拓して豊かになっていくかを競う時代です。EXPO2025と同様に未来を見すえたイベントでしたが、見つめる未来の違いがファッションにも表れています。
EXPO’70は初のホスト国として、欧米諸国と同じ立場であることを世界に示すというねらいがあり、ユニフォームは洋服です。ヨーロッパのモードを取り入れたプレタポルテらしい同タイプのシルエット、デザインが特徴的です。1967年にイギリス人モデルのツイッギーが来日して以降ミニスカート旋風が巻き起こったこともあり、ミニスカートが中心です。
パビリオンの案内スタッフはほとんどが若い女性で、「エスコートガイド」「ホステス」と呼ばれていました。年齢・性別を問わず「アテンダント」や「アテンダントスタッフ」と呼ばれるEXPO2025とは違います。
EXPO70 日本館ホステスのユニフォーム(合服)。
(掲載協力:公益財団法人日本ユニフォームセンター)
シルエットや素材から見るEXPO’70ユニフォーム
EXPO’70のユニフォームの写真を見ると、シルエットはシンプルでも、切り替え線で柄を表現したり、襟やポケットの形、ボタンの付け方に特徴を持たせるなど凝ったつくりであることがわかります。工業生産志向があっても、立体的な洋服仕立ての技術が生かされています。
天然素材よりも、機能性を付加し、大量生産に適したナイロンやポリエステルといった合成繊維の開発が進んだ時代。ユニフォームにも合成繊維が積極的に採用されたようです。
会期中6,422万人近い来場者を集めたEXPO‘70ですから、エスコートガイドが着用しているユニフォームを見て「私も着てみたい!」と思った女性は多かったのではないでしょうか。テレビや映画のスターや雑誌モデルが着るミニスカートではなく、身近な働く女性が着こなすファッションはおしゃれ心を駆り立てただろうと想像します。実際、高度経済成長期には、洋裁教室や洋裁学校が日本各地に広がり、洋服の型紙が雑誌の付録として人気を集めるなど洋服づくりの文化が普及する一方で、洋服の既製服産業が急成長し、EXPO‘70以降、洋装は日本の生活スタイルとして定着していきました。
万博から次のデザインが生まれる
万博は、その後に続く時代の文化やデザインの転換点になってきました。例えば、日本が初めて参加した1867年のパリ万博では、浮世絵や漆器、甲冑、きものなどの美術品や工芸品を展示し、話題を呼びました、欧米での「ジャポニスム」流行のきっかけになったと言われています。
1900年のパリ万博は、アール・ヌーヴォーのデザイン様式の流行がピークに達した時期で、日本文化に注目が集まりました。ヨーロッパの伝統的な装飾表現には見られない、水が流れるような流麗なラインや、有機的な植物・昆虫がモチーフに使われ、日本の浮世絵やきものの柄がアール・ヌーヴォーに影響を与えたと言われています。
1925年のパリ万博は、直線や幾何学模様を基調にしたアール・デコの流行期に重なり、パビリオンのユニフォームにもアール・デコのデザインが生かされています。
そしてEXPO’70では、日本で多様な国の文化が紹介され、民族衣装も話題を呼びました。万博会場で人々が異文化にふれ、現在よりもはるかに大きなインパクトをもって、デザインやファッションへの意識を刺激されたと考えられます。そうした多様な文化への関心の高まりは、時代の流れと重なっていたのでしょう。’70年代には日本を代表するファッションデザイナーの髙田賢三さんが異文化を融合したフォークロアスタイルで注目され、パリで活躍し始めました。
人々がデザインやファッションの最先端に触れ、体験することで、次の新しい文化が生み出される、万博はそうした役割を担ってきました。私の研究室でも、卒業論文のテーマにEXPO’70のユニフォームデザインを取り上げる学生がいるなど、いつの時代も、万博は魅力的なファッションやデザインが生み出される場であることを実感します。
さてEXPO2025閉会後は、どんな変化が起きるのでしょうか。
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