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志賀直哉『暗夜行路』草稿ノートの発見 ー創作の舞台裏を読み解く貴重資料とはー

2025/06/16

このほど千葉県我孫子市内のご家庭で大正四年の志賀直哉のノートが発見され、白樺文学館に寄贈されました。研究者にも知られていなかった一般のご家庭から、百年もの歳月を経て、こういう貴重な資料が見つかったという事実に驚くとともに、それに至る地元の皆様の地道な調査と努力に敬意を表したいと思います。

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『暗夜行路』草稿を含む資料の価値

すでに報道されているとおり、そこには『暗夜行路』後篇「第三」の草稿が含まれていました。研究を飛躍的に発展させるのは、こうした作家自身による生の資料です。その詳細は、2025年秋の我孫子市白樺文学館の展示および図録でご覧いただきたいと思いますが、今回の資料について考える中で、私が気になったことを二つ、ここに記したいと思います。

ノート・日記・原稿用紙の違いから見る志賀直哉の創作意識

一つ目は「ノート」に書くとはどういうことか、という点です。 志賀直哉は自分の体験をもとに創作活動をするタイプの作家です。直哉は自分の体験を綴るアイテムとして、「ノート」の他にも「日記」「原稿用紙」などを使用していますが、一体どういう意識でこれらを使い分けていたのでしょうか。 例えば「日記」ですが、これは分量的な制約もありますから、短文で簡単に記されています。その日その日の出来事を記しておく備忘録としての側面が強く、おそらく創作という意識はなかったと思います。 それに対して、「原稿用紙」となると、いよいよ作品を書くという身構えが感じられ、フィクションも加わりそうです。

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「彼」として描かれた自己と推敲の痕跡が示す作品化の意図

では、「ノート」の場合はどうでしょうか。今回の「ノート」は、体験が起こってからそう遠くはない時期に書かれているようで、フィクションの追加はなさそうです。しかし、直哉は自分自身にあたる人物を「彼」=大津順吉として描いています。大津順吉とは、志賀直哉を置き換えたもので、直哉が私小説的な作品を書こうとする時によく使う名前です。単なる記録なら、「私」=志賀直哉として書く筈ですから、やはりここに作品化するという意識を見てとることができます。 また、この「ノート」に多くの推敲の跡が見られることも重要です。実際に体験したことをそのまま書くといっても、何を描き何を描かないか、どう描くかを書き手は選んでいるわけですから、表現を練るということは創作の領域に属します。志賀直哉の小説に迫真力があるのは、表現をゆるがせにしないからであり、この「ノート」にその最初の段階を見ることができるわけです。

草稿とは何かを問い直す、志賀直哉の複雑な創作過程

もう一つは、「草稿」とは一体何なのか、という点です。 今回の「ノート」の記述は、『暗夜行路』後篇「第三」のエピソードとそっくりですから、この記述を『暗夜行路』草稿と呼ぶことに問題はありません。ただ注意すべきは、「草稿」という言葉は、「完成稿」が出来てから振り返って名付けるものだということです。いわば「後付け」の説明なのです。 『暗夜行路』前篇の草稿は大量に残っていますが、実はこれを書いた時、直哉は今日の『暗夜行路』とは違った長篇小説を構想していました。その長篇は挫折しますが、残された書きかけの原稿に、祖父と母との不義の子というフィクションを導入して『暗夜行路』が生まれました。今回の「ノート」も書かれた段階では、まだ今日の『暗夜行路』の構想は直哉の中にはありませんでした。心を動かされ、いつか何かに使えると感じて練っておいたエピソードが、後年、『暗夜行路』後篇を書く際、主人公の新婚時代のエピソードとして使われることになったのです。 作家の創作活動は一筋縄ではいきません。その入り組んだ過程を資料に基づいて丁寧に解きほぐしていく、そこに研究の醍醐味があるのだと思います。

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