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音楽のルーツ探訪:ベートーヴェンとスコットランドの秘められた関係

2024/12/10

音楽は私たちの心を癒し生活に彩りを添えてくれるものであることに異を唱える人はいないでしょう。しかし「音楽を研究する」と聞くと、「一体、何のために?」と疑問に思う方も多いかもしれません。医療や経済のように、目に見える形で社会に貢献しているように思えないからです。音楽学の講義を担当する私も、楽曲を研究することの意義をどのように伝えれば、彼らの心に響くのかを試行錯誤しています。音楽の研究は、楽曲の背景にある歴史や社会を深く理解する上で不可欠だと考えます。例えば、一見単純なメロディーの中に深い歴史や文化が隠されていることがあるからです。

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ドキュメンタリー『Òrain』が描くベートーヴェンとゲール音楽

この夏、私はミヒャエル・セーバー監督のドキュメンタリー映画『Òrain. Das Geheimnis um Beethovens schottische Lieder』(2022年)を見る機会がありました。この映画は、ベートーヴェンのスコットランド歌曲がゲール語(インド・ヨーロッパ語族ケルト語派に属する言語)の伝統的なメロディーに深く根ざしていることを、専門家やミュージシャンへの聞き取りや文献調査を通して描き出しています。主人公ミヒャエル・クレーヴェンハウスは、ドイツ・ゲール語文化センターの創立者で、ベートーヴェンのスコットランド歌曲のメロディーがゲールの音楽に起源をもつことを指摘した最初の人物で、彼による発見が本作品の製作の根底にあります。

ベートーヴェンとスコットランド歌曲の知られざる関係

あまり知られていないかもしれませんが、ベートーヴェンは1809~20年にかけてスコットランドの出版社ジョージ・トムソンからの依頼で、スコットランドのメロディーに基づいて編曲の仕事をしていました。彼は編曲のために出版社から歌詞を入手しようと何度も試みましたが、叶いませんでした。なぜならトムソンはベートーヴェンの編曲に「新たな歌詞」を書き加えるために有名なイギリス人作家に詩を依頼したいと考えていたためです。例えば《22のスコットランドの歌》第5番「O Ohnochri, oh」という疑似ゲール語のタイトルをもつ歌曲には、ウォルター・スコットによる歌詞「Oh was not I a weary wight(おお、私は何と疲れはてたことか)」が付けられています。この事実は当時の複雑な政治状況を物語っていると言えるでしょう。

ゲール語歌曲の弾圧と文化的喪失

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18世紀後半のジャコバイト蜂起後、スコットランドのハイランド地方では、ゲール語話者に対する弾圧が強まり、多くのゲール語による歌が失われました。「彼らはゲール人からメロディーを奪った。」こう語るのは、ゲール語歌曲の教師マイリー・マキネル。彼女の考えでは言葉と音楽は切り離せない関係で、歌詞が意図的に取り払われてしまった時点で、ゲール人の音楽、魂は死んでしまったのも同然なのです。確かに、ゲール語歌曲がかつてはゲール人の魂を表現する重要な手段であったことを考えると、その損失は計り知れません。

音楽学が見出す新たな視点と可能性

歴史に翻弄される過程でその多くが失われてしまったゲール語歌曲。そのメロディーの断片がベートーヴェンの歌曲のなかで息づいているという事実は音楽学の新たな可能性を示唆してくれます。私たちがある楽曲を演奏したり、聴いたりする時、必ずしもその背景を十分に知らなくてもその美しさを享受することはできるでしょう。しかし、一つのメロディーがもともとある民族の固有のものであったこと、その歌詞が失われてしまったことなどに思いを馳せることができたなら、その音楽体験に豊かさが増すかもしれません。この映画は、音楽は単に娯楽ではなく歴史や社会を理解するための手がかりとして捉え直すことを教えてくれます。音楽学の面白さはまさに「目に見えない」部分を丹念に掘り起こし、作品と歴史とを繋ぎ合わせるところにあるのです。

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