東京ハイカラ文学散歩を実施

樋口一葉・夏目漱石・谷崎潤一郎といった多くの近代文学者たちが生活し、数々の名作の舞台となった東京ですが、京都で学ぶ学生にとってはかならずしも身近な街ではありません。
日本語日本文学科では、近代文学を身体で読むことをテーマに「東京ハイカラ文学散歩」と題した一泊二日のツアーを2024年11月30日(土)~12月1日(日)に、学生21名、教職員2名参加の下実施しました。
初日は冬晴れのスタートで、京都から東京へ向かう新幹線の窓には冠雪の富士山が空に映えていました。夏目漱石『三四郎』の主人公である小川三四郎は、大学進学のために上京する汽車でミステリアスな男と出会います。ほかの日本人のように日露戦争の勝利に浮かれず、日本が自慢できるのは富士山くらいだと語るこの男に、三四郎は「しかしこれから日本も発展するでしょう」と食らいつきますが、男はただ「滅びるね」と呟くだけです。後に再会することを知らない二人を乗せた汽車は、ついに三四郎の憧れの地である東京に到着します。
最初のスポットである「東京駅舎」は、日本近代建築の父・辰野金吾によって設計されたものです。2012年に開業当時の姿に復元されました。この丸の内エリアで、明治時代に最初に竣工したのが三菱の「第一号館」です。鹿鳴館の設計で知られるジョサイア・コンドルによる建築で、2009年に「三菱一号館美術館」として復元されました。東京駅から歩いて数分のこの美術館は、近年リニューアルのために閉館していましたが、「東京ハイカラ文学散歩」直前に再開し、この日はロートレック展が開催されていました。ロートレックはポスターや雑誌表紙を芸術の域にまで高めたフランス人画家です。ロートレックの絵は浮世絵の影響を受けていることが知られていますが、永井荷風もまた早くにそのことを指摘しています。


参加した学生は、文学散歩を有意義なものとするために、事前学習として戦前の東京の姿を映像で学び、東京を舞台にした近代小説を読んできました。そして、昔の映像・作品考察・文学マップを、SNS上の「東京ハイカラ文学散歩」専用チャットで共有してきました。すべての情報はここに集まっており、いつでも利用できるようになっています。3名1組の各グループは、訪れたハイカラスポットの写真やコメントをここに投稿することにしました。自分たちの文学散歩はもちろん、他のグループの写真やコメントがリアルタイムで届くのも楽しく、このような工夫で多面的な学びが実現できます。
さて、二日間の自由行動で多くのグループが訪れたのが、浅草・上野・銀座です。
浅草は、かつての東京一の繁華街であり、その光と影は多くの文学者を刺激してきました。たとえば谷崎潤一郎『秘密』は、浅草の人目を遁れ、ある「秘密」にのめり込む男を描いた小説です。
そして、日本初の公園である上野公園には博物館・美術館・レストラン(上野精養軒)がつくられました。この上野台地は下町の浅草とは異なった文化の薫りをまとっていたのです。貧しかった樋口一葉はこの図書館に通って古今の文学作品を読んで吸収し、傑作を矢継ぎ早に発表する「奇跡の十四ヶ月」を迎えることになります。
また、明治時代に多くのカフェが開店した銀座は、大正12年の関東大震災以降、流行の最先端を行くエリアになります。昭和に入ると「松坂屋」「三越」といったデパートで買い物を楽しむ若者(モボ・モガ)の姿も小説に登場しました。



二日目の夕方、最後のスポットである「旧岩崎邸庭園」(三菱第3代社長・岩崎久彌の本邸)に再び全員が集まりました。岩崎邸の中心は華やかながらも品格をまとった西洋風木造建築で、これもコンドルによる設計です。この洋館は日本庭園を伴った書院づくりの和館とつながっており、広大な芝生の庭が両館を囲んでいます。建物と庭園の両方に和と洋の要素が見られる、まさに日本近代を象徴する建築物です。この岩崎邸は、東大から不忍池へと下る無縁坂沿いに建っています。森鷗外『雁』の主人公で東大生の岡田は、無縁坂に住むお玉と密かに想い合っていました。ドイツに渡ることが決まった岡田とお玉とは、ある日この岩崎邸の隣で遭遇しますが、結局二人はそれ以上踏み込むことができず物語は終わります。実際にこのエリアを歩いてみると、登場人物の心理や物語展開が東京の坂の起伏に象徴化されていることがよくわかります。



「事前学習で東京の昔と今について見つめ直したり関係する作品を読んだりしたおかげで、ただ街を歩くだけでもとても勉強になった」「文学を通して土地を知る楽しみを実感した」など、参加者はそれぞれに有意義な時間を過ごしたようです。
これからも日本語日本文学科では、本から飛び出して文学を学べるような機会を作っていきます。