2026年7月 今月のことば
教員をしていると、学生の人生におけるさまざまな出来事に立ち会うことがあります。
以前に勤めていた大学では、ある日突然一人の学生に余命が宣告されました。私とその学生は専門領域が異なっていたため、普段の接点は多くありませんでした。しかし、放課後になるといつも大学に残り、黙々と絵画制作に打ち込む姿を度々目にしていました。
人は余命を宣告されたとき、どのように日々を過ごそうとするのでしょうか。
その学生の選択は、命の灯が尽きるその時まで、自らの制作に向き合い続けることでした。実家には帰らずにひたすら卒業制作に取り組み、無事に卒業式を迎え、同年に天に召されました。
若くして生涯を終えたからといって、それが不幸であったとは限りません。本人にとっては、最後まで自分の愛する絵画に向き合い続けた、充実した人生であったのかもしれません。しかし、私よりもはるかに若いその学生が、過酷
な現実を突きつけられながらも、変わることなく制作に打ち込み続けた。その一貫した姿勢と気丈な振る舞いは、私に大きな衝撃を与えました。そして、「自分が同じ立場に置かれたとき、果たして同じように生きられるのだろうか」という問いを、深く自らに投げかけることになりました。
日々の生活の中で、私たちは多くのことを当たり前のものとして受け止めてしまいがちです。今日も生きていること、食べるものがあること、働く場があること、そして自分を思ってくれる家族や仲間がいること。それらはいずれも、本来はかけがえのない恵みであるにもかかわらず、私たちはついその尊さを忘れて過ごしています。
「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」
《マタイによる福音書 6章34節》
日本聖書協会『聖書 新共同訳』より
与えられている「今日」という一日をどのように生きるのか。その学生が遺してくれた問いを胸に、感謝をもって日々を大切に歩んでいきたいと思います。
(PoPo)