2026年1月 今月のことば
「暗闇は光を理解しなかった」:混乱の年から希望の年へ
2025年という一年を振り返ると、世界は多くの揺らぎに満ちていた。トランプ関税の混乱、中東やアフリカ各地で紛争が続き、停戦が遠のくように見えた日もあれば、国際社会の粘り強い交渉が一筋の光となって差し込む日もあった。戦争がもたらす痛みや悲しみは数字では測れず、その背後には、それぞれの「日常を奪われた人生」があることを思うと、心が締めつけられる。だが同時に、破壊のただ中で人々が助け合い、対話を諦めなかった記録を見ると、人間の中にはどうしても消えない光があることにも気づかされる。たとえば最近見たガザ難民のドキュメンタリーはまさにそうだった。
- 「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」
- 《ヨハネによる福音書1章5節》
- 日本聖書協会『聖書 新共同訳』より
この言葉は、世界の混乱だけでなく、私自身の一年にも静かに重なってくる。振り返ってみれば、2025年は私にとっても、思い通りに進まないことや迷いの深まる場面が多かった。忙しさや不安に押し潰され、モチベーションを失いそうになる時、自分の中の「闇」を強く感じた。しかし、わずかではあるが、支えてくれた人々の言葉やささやかな優しさに、光は確かにあった。そんな小さな光に導かれながら、なんとかここまで歩むことができた。
2026年に向けて、私は「光を見る姿勢」を大切にしていきたい。私の大好きなドラマ「アンメット」の名台詞、脳の障害を抱える川内先生が、ずっとそばで応援してくれている三瓶先生へのこの台詞:「三瓶先生はわたしのことを灯してくれました」のように、その光はどれほど小さく見えても、闇に呑み込まれることはなかった。世界の情勢は依然として不安定で、ひとつの平和が実るまでに長い時間がかかるし、やっと手に入れた平和もまた脆くて壊れやすい。それでも、希望は静かに積み重なっていくと信じてみたい。
聖書が告げる「暗闇は光を理解しなかった」という約束を胸に、見えるものに怯えるのではなく、見えにくい希望を信じながら歩みたい。2026年が、世界にとっても、この地球に暮らしている人々みんなにとっても、私自身にとっても、光を見いだしていく一年となるように願いながら。
(C・W)