2023年11月 今月のことば

2023/11/01

「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる」

(マタイによる福音書 7章1節~2節)
日本聖書協会『聖書 新共同訳』より

 


 

「女の子なのだから」「若者らしく」「最近の学生は」

こうした言葉に傷付き落ち込む学生たちには、「誰かの物差しで自分をジャッジしなくていい、あなた自身を糺すのはあなたである」と折に触れて伝えてきた。畏れ多くも聖書の中に深く共鳴する一節を見つけることが出来て、初学者であるがゆえの新鮮な感動を覚えている。

他者を裁きたいという欲望は一体、どこから湧いてくるものなのだろうか。人間はつい、自分の信じる「正しさ」、それに基づくモラルや慣習に照らして物事を評価する。「普通~なら」というフレーズは大抵、自分にとっては「普通」でない事柄の輪郭を明らかにしようとするときに、口を衝いて出てしまうものだ。「普通」の枠組みから外れるものを裁き、ともすれば排除しようとする。その根底にあるのは、自分の信じるものの正当性が揺らぐことへの恐れであろう。違和感を感じる他者を受け入れるために必要なのは、相手の培ってきた「普通」を紐解き理解すること、即ち粘り強い対話に他ならない。

現代の日本には、五十人に一人、外国にルーツが繋がる人が暮らしているという。また、SNSでの発信を通して、あらゆるマイノリティの生きづらさが可視化されるようにもなってきた。マジョリティの「普通」は、時に同じ社会で暮らしている誰かを抑圧する。無自覚の加害性からつい目を逸らしたくなる、己の拙さを自戒したい。

宗教部に関わらせていただくようになり半年、色々と勉強させていただく機会に恵まれている。おっちょこちょいで呑み込みの悪い人間なので、何かとご迷惑をおかけすることも多い。そんな私を裁かずにお許しくださる学生、教職員お一人お一人に、心より感謝したい。

(N.O.)