2022年6月 今月のことば

2022/06/01

話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。

(ルカによる福音書 24章15節)
日本聖書協会『聖書 新共同訳』より


 

私がこの聖書の言葉を目にした時「寄り添う」という言葉が真っ先に思い浮かびました。「寄り添う」とはどういう意味でしょうか。国語辞典を引いてみると「ぴったりとそばへ寄る」と記載があります。これには、物理的にそばに寄り添うことだけではなく、そばにいなくても心や思いを寄せながら見守るということも含まれていると思います。この「そばには寄り添えないけれど、心や思いを寄せる」ことがコロナ禍になり多くなったように思います。「そばに行きたいけどいけない・・・」という切ない思いをすることも多くなりました。

看護の世界でも同様です。「看護」という漢字には「手と目で見守るという」意味が表現されています。ですが、新型コロナウィルス感染症の流行により、手と目で実際に患者さんを観察し、そばに寄り添い、見守ることができず、遠隔から患者さんを見守ることを余儀なくされることも多くなりました。今までの看護では考えられないことです。

皆さんもつらい時、不安な時、痛みがある時に、誰かに寄り添ってもらい、そっと触れてもらうだけで安心した経験があると思います。この今まで当たり前にできていた、そばに寄り添うことを絶たれた今、寄り添いたいと思う側、寄り添ってほしいと思う側の双方ともに、どのように寄り添ったらいいのか、どのようにつらい思いや不安な思い、そばにいてほしいという思いを伝えたらいいのかを考えなければならなくなりました。そばにいなくても心や思いを寄せ見守っている思いをどのように伝えることができるのか。そばにいて触れて寄り添うことに敵わないかもしれませんが、幸いにも現代は電話、メール、オンライン通信など手段がたくさんあります。その近代の知を活かし、コロナ禍ならではの寄り添い方、思いの馳せ方を皆さんそれぞれに考えてほしいと思います。

(M.W)