2022年11月 今月のことば

2022/11/01

あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。

(マタイによる福音書 5章13節)
日本聖書協会『聖書 新共同訳』より


私は料理において深い経験は無い。しかし某料理レシピサイトを拝見すると、実に美味しそうな料理が意外にも気軽にできるのだと感心させられる。それら大半のレシピにはおなじみの材料として「塩」の表記があり、ましてや塩のみを調味料として使う料理も結構な数で存在している。塩には調味料として塩味を加える役割以外にも、素材の良さを引き出す働きもある。身近なもので言えば、スイカに塩などがその一例である。京料理などで知られる、塩を加えることで出汁の旨味を引き出すこともそのひとつである。ここで重要になるのが塩加減である。塩は少なくても無駄に多くても良くない。素材の味を引き出せないだけでなく、多過ぎれば素材の味を損なってしまう。また、減塩すぎる生活はたくさん汗をかく夏などには避けたいところであり、過剰な塩分摂取は高血圧の方にとって注意すべきであることは、私たちのよく知るところである。また一方で、塩は調味料以外の方法でも利用されている。公益財団法人塩事業センターによると、脱水・防腐用、グルテンの形成、発酵の助け、粘り気や弾力性の向上、生理食塩水やリンゲル液などの原料、道路の凍結防止、ボイラーなどのイオン交換樹脂の再生、皮製品の保存やなめし用、水道水の消毒、ホーロー製品、石鹸、パルプ、アルミ、ガラス、塩化ビニール製品などに使用されるなど、生活のあらゆる物や場面にも必要とされていることが改めて分かる。塩が果たすこれら多くの役割について、日頃その大切さについて深く考えずにいた。

イエスは「あなたがたは地の塩である」と説いている。「これから塩のような存在になるべきだ」とか「塩のような能力を手に入れなさい」と伝えているのではなく、「私たちは“既に”世の中における塩としての存在である」と伝えている。この世に生を受けた時から、ありのままの自分として価値が在り、目の前の人々や世の中の“旨味”を引き出せる存在であり、周囲もそれぞれにまた価値があり私たちの“旨味”を引き出してくれる存在なのだ。神によってそれぞれが活かされる機会や場所に、私たちはもう出会っているのかもしれないし、これから出会うのかもしれない。それは神の計画なのであろう。私たちが社会の中で、ありのままの自分としての存在に不安を感じる時、無理に着飾り、強がり、与えられた本来の美しさを自分自身で覆い隠してしまうのかもしれない。それはあたかも塩気を効かさず他の調味料や材料をかき集めて味のバランスが取れず、素材そのものの良さや旨味を引き出せないで、結果的にその料理を台無しにしてしまうかのようだ。塩加減を無視した塩分過多の状態は、周囲よりも自分という利己性、プライドや自我の強さだと言い換えることができるのかもしれない。料理を台無しにするだけでなく、健康面にも悪影響を及ぼすだろう。神から与えられた“塩”としての本来の自分に気づき、社会に対するその“塩加減”を知ることで、周囲の人々や物事を支えることができると教えてくれているようだ。味の整った美味しい料理のように、自身と他者が互いを必要とし、受け入れ合い、支え合うコミュニティーとなるのではないのだろうか。「あなたはあなたのままで尊く、他者を支えられる価値ある存在なのだ」、そう伝えてくれているようで勇気づけられる。

(T)