2022年1月 今月のことば

2022/01/06

彼らが話しながら歩き続けていると、見よ、火の戦車が火の馬に引かれて現れ、二人の間を分けた。エリヤは嵐の中を天に上って行った。

(列王記下 2章11節)
日本聖書協会「聖書 新共同訳」より



先年亡くなったドイツの指揮者クルト・マズアさんは幼い頃、ピアノ教師より「さぁ、次までにこの曲を練習してきなさい。」と、新しい曲を宿題に出されました。しかし彼女はこう付け加えることを忘れませんでした。「これを弾く時は絶対に窓を開けては駄目よ」。これがマズアさんとメンデルスゾーンの最初の出会いでした。フェリックス・メンデルスゾーン(1809-1847)は、ヴァイオリン協奏曲の哀愁を帯びた旋律や、シェイクスピアの「夏の夜の夢」に付けた音楽、ピアノ曲「無言歌」の「狩の歌」や「春の歌」などの作曲で知られています。私たちが歌う讃美歌にも「あさかぜしずかにふきて」(21-211)を始め、6曲に彼の音楽が使用されています。ユダヤの家系の出身であるメンデルスゾーンの音楽はナチス・ドイツによって演奏を禁止されていたため、マズアさんはこっそりと彼の作品を練習しなくてはならなかったのです。

高名な哲学者モーゼスを祖父に、銀行家アブラハム(メンデルスゾーン銀行はナチスによって解体されるまで存在)を父に持つフェリックスは、恵まれた環境の中、幼少期よりあらゆる分野で才能を開花させました。しかし当時のドイツではユダヤ人排斥運動が起こり、心ないいじめを受けることも度々でした。
父親は子ども達が不自由なく生きていけるようにと洗礼を受けさせ、キリスト教へと改宗させました。「洗礼証書はヨーロッパ文化への入場券である」―同じくユダヤ教から改宗した詩人ハイネは語っています。父親は「メンデルスゾーン」というユダヤを示す姓に「バルトルディ」という新たな姓をくっつけ、息子に「メンデルスゾーン=バルトルディ」と名乗らせます。ユダヤ民族としての誇りゆえ、彼はこの改姓に気が乗らなかったようですが、キリスト教を心からの共感を持って受け入れました。そして1830年6月のルターの「アウグスブルク信仰告白」300周年記念式典に向けて、交響曲の作曲に取り掛かります。人々の神に対する祈りと賛美の声「ドレスデン・アーメン」で始まり、第4楽章でコラール「神はわがやぐら」を高らかに歌い上げる交響曲第5番「宗教改革」は、メンデルスゾーンのキリスト教徒としての「信仰告白」ともいうべき作品です。しかし記念式典については正式な依頼がないまま時は過ぎ、結局彼の願いは打ち砕かれました。名声や実力では彼に勝る者はいない筈であるのに何故?それはキリスト教の公式行事にユダヤ人の作品が演奏されてはならなかったからです。ユダヤ人であることとキリスト教徒であることは、彼の中で自然に同居していましたが、世間は違いました。

この挫折体験は、後年2つのオラトリオ「パウロ」と「エリヤ」によって実を結びます。ユダヤ教から改宗しキリスト教伝道に大きな足跡を遺した使徒パウロ、ユダヤ教を守るために闘った預言者エリヤ、人々はユダヤ人メンデルスゾーンが描く神の世界を熱く支持しました。今年も新型コロナウイルスの影響により、残念ながら年末恒例の「全同志社メサイア」は中止となります。代わりにへンデルの「メサイア」以降最高のオラトリオと名高い、メンデルスゾーンの「エリヤ」を部屋で聴いて過ごそうと思っています。 (K)