2020年1月 今月のことば

2020/01/06

わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。

(ローマの信徒への手紙 7章18節~20節)
日本聖書協会『聖書 新共同訳』より


昨年12月に恒例のクリスマス礼拝で御奨励くださいました、京都丸太町教会名誉牧師の佐藤博先生がお書きになられた『名著を入口に聖書に聞く』(マナブックス、2004年)という御本を拝読する機会に恵まれ、その中で、上記の一節が聖書から引用されていました。
この言葉も、そこから佐藤先生が述べておられる内容も大変奥深いもので、私などがそれについて述べることさえ憚られるのですが、大事なことは、わたしたち一人一人の心にどうしても潜み宿ってしまう原罪、というか、本質的な意味で至らないものの存在を認識すること、そのことに常に謙虚でいなければいけないということか?と恥ずかしながら自己流に解釈しています。自分の思いや行いが至らなさを伴うことを受け入れるのは楽ではないですし、自分の勉学についてまだまだ至らない点が多々あることを認識するのも痛みを伴うことです。私たちはまだまだあまりにも弱い存在です。でも、そのことに気づき、一歩一歩そこから踏み出そうとするときにきっと神様はその行いを見ていてくださっている、そして時として、思いもよらぬ時に、思いもよらぬ形で神様はお恵みを与えてくださるのだと思います。人はしばしばその状況を「ツキがあった」という言葉で表現するかもしれません。いずれにしろ、それは神様のお恵みがもたらされた瞬間なのだと思います。
 
私自身も、今更ながら自分が余りにも至らない存在であることを痛感しますが、それでも日々向上の気持ちを忘れず、明日に向かって希望をもって生きていきたいと思っています。自分のはしたない気持ちをも、神様が愛をもって見守っていてくださることを信じつつ。2020年が皆さんお一人お一人にとってより幸せ多き年となりますことを心より祈ります。私たち一人一人の上に天からのお恵みが豊かにありますように、そして世界があなたの御心にかなう、平和と安らぎに満ちたものとなりますように!

(ピアノ弾き)