2019年7月 今月のことば

2019/07/02

人の子らに関しては、わたしはこうつぶやいた。神が人間を試されるのは、人間に、自分も動物にすぎないということを見極めさせるためだ、と。人間に臨むことは動物にも臨み、これも死に、あれも死ぬ。同じ霊をもっているにすぎず、人間は動物に何らまさるところはない。すべては空しく、すべてはひとつのところに行く。

   すべては塵から成った。
 すべては塵に返る。
 人間の霊は上に昇り、動物の霊は地の下に降ると誰が言えよう。


(コヘレトの言葉 3章18節~21節)
日本聖書協会『聖書 新共同訳』より


旧約聖書のコヘレトの言葉では、コヘレトは人間を特別な存在とはみなしていません。人間もまた動物であり、時が来れば死ぬ。そこには人間と動物の差異はない。神は天にあり、人は地にある。その限界を知れとコヘレトは語っています。薬学部では5月29日に京田辺キャンパスの憩水館と知徳館5号館との間に建立されている実験動物記念碑の前で実験動物記念式を開催しました。薬学部の1年次生は、早期体験実習Ⅰでマウスを用いて、哺乳類の基本的な臓器、器官の位置や名称を理解する動物解剖実習を行っています。実験動物記念式では、動物解剖実習を終えた1年次生、及び教育研究活動で動物実験を行っている学生・教員が中心となり、失われた動物のいのちに感謝と哀悼の祈りをささげます。動物実験は残酷というイメージがありますが、私たちの健康や医学・薬学の進歩が、動物たちのいのちのうえに成り立っている事実を認めざるをえません。世界には、エボラ出血熱をはじめとする有効な治療法のない病気で苦しんでいる患者さんは少なくなく、新薬開発が求められています。新薬の開発の初期には、実験動物に新薬候補化合物を投与しその効果や毒性を調べる動物実験が必要です。ドイツの神学者であるアルベルト・シュヴァイツァーは、「生きんとする意志を持つすべてのもの」に対して私たちは畏敬の念を払わねばならない。そうすることによって、すべての「生きんとする意志を持つもの」に対して、私たちは倫理的責任を持つのである。と述べ、「生命への畏敬」の概念を提唱しました。私たちのいのちが他のいのちとのつながりのなかで生かされているということをおぼえ、失われた動物たちに深い尊敬と感謝の心をささげたいと思います。

(Philip White)