2019年4月 今月のことば

2019/04/12

また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は革袋を破って流れ出し、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れねばならない。


(ルカによる福音書 5章37節~38節)
日本聖書協会『聖書 新共同訳』より


 

新入生のみなさん、ご入学おめでとうございます。在学生の皆さんも新芽の息吹く中、多くの期待と語り得ない不安が入り混ざる歩みの中にあることでしょう。

新しい世界に足を踏み入れる際、来るべき将来への不安から古い伝統や過去の足跡に依存する事が多々起こります。「昔から〇〇と言われている、親は〇〇と言っている、私は〇〇で頑張ったから、〇〇は苦手だから云々」と。確かに自分自身の努力により積み重ねてきた過去の足跡は、それなりに価値があります。「古い友を見捨てるな。新しき友はそれほど価値がない。新しい友は新しい酒のようだ。古くなった時、あなたは喜んでそれを飲む」(ベン・シラ9:10)との言葉もあります。しかし、伝統や過去に固執し過ぎることも課題であるのかも知れません。

聖書の中で、「ぶどう酒」を形容する際に用いた「新しさ」は服や革袋の「新しさ」とは異なる単語で表現されています。ぶどう酒に用いている「新しさ」は「若さや初々しさ」、言い換えれば革新性や柔軟性を意味している言葉です。それに対して、「古さ」は以前から継続する伝統に固執する姿勢、柔軟性や弾力性を欠いた頑な態度を意味します。「いつしか、したくない事を強要し、したい事を妨害するのがキリスト教である。笑いですら、罪となる」と語った人がいます。自らが築いてきた伝統を尊重する余り、自分自身の価値観にのみ固執し、変化を恐れることがあります。「古いぶどう酒」とは自身の世界に胡座をかき、安住する姿であり、「新しいぶどう酒」は閉鎖的価値観からの解放と真の喜びの創出を表わします。ぶどう酒の新しさ(未成熟さ)こそが、古い革袋(伝統的に固執した保守的姿勢)を破ります。

新年度と共に、新しい学生生活がそれぞれに始まります。新しさ(不完全性、未熟性)に臆することなく、多様な異なる他者との出会いを通し、自分自身を守る鎧(革袋)を破られたく思います。その地割れの隙間から未知のもの(新しい自己・他者理解)が創出し、真の喜びが立ち現れることでしょう。皆さんの大学生活には新しい宝(出会い)が秘められていることと思います。宗教部の年間テーマを紹介しつつ、新しい歩みの上に祝福をお祈り致します。
 

Coming together. Being there for each other.-出会い、寄り添い、ともに生きよう-

新しい場での新しい出会いの只中に掛け替えのない宝が秘められていることでしょう。(AGO)