2019年12月 今月のことば

2019/12/02

信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。

(ヘブライ人への手紙 11章1~3節)
日本聖書協会『聖書 新共同訳』より


とある村の観光ポスターに採用されたキャッチコピーがあります。「都会は人がつくり、田舎は神がつくる。」これは、イギリスの詩人であるウィリアム・クーパーが残した言葉です。都市の賑やかさも捨てがたいけれども、涙が出るような美しい風景に出会うのは、いつも田舎でした。山奥の村に新雪が降った日の夜は偶然にも満月で、展望台から見た月明かりに照らされた集落は、世界遺産なんていう言葉が陳腐に思えるほど、人類にとっての宝物であることを、その存在で訴えかけていました。小さな島の民宿の2階から見た、赤瓦の家々と南国の濃い緑を照らす朝日は、ニライカナイ(神の理想郷)の存在を感じさせ、今も目に焼き付いています。何世代もの人々が、厳しくも豊かな気候風土の中で、土を耕して暮らすことで育まれた風景は、神という言葉が正しいかはわかりませんが、人知を超えた美しさと言葉にできない迫力をまとっているように思います。

そして、そういった場所には信仰があります。朝日に照らされていた島では、いたるところに神を祀る森があり、毎月なにかしらの祭礼行事が行われます。土地に種を蒔き始めることを祝う一年で最も大きな祭では、早朝から夜まで踊りや歌、劇が奉納されます。月明かりに照らされていた村では、皆で手作りした御神酒で老若男女が五穀豊穣を祝います。ここでいう信仰とは、絶対的な神をただひたすら信じるというよりも、生きることが決して楽ではない場所で、人の力が及ばない事柄(例えば天災など)と折り合いをつけるための知恵なのかもしれません。

このような、特定の誰かが意図してつくることができない風景に惹かれるのは、計画通りにいかないことや、自分の無力さを感じながら、でも、周囲の人々と関係性を築いて、地に足をつけて日々暮らすことに対する憧れがあるからかもしれません。

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