2019年1月 今月のことば

2019/01/11

   学生のころに読んで感銘した本に、アンドレ・ジッドの『田園交響曲』があります。でもこの本の怖さは、その当時はまだよくわかりませんでした。物語は、ある田舎町の町はずれで、一人のおばあさんが亡くなったところから始まります。牧師さんが駆けつけると、家の中に、汚い身なりをし言葉もしゃべれず、その上目の見えない娘を見つけます。牧師さんはその身寄りのない娘を自分の家に引き取り、娘の髪を切り、新しい服を着せ、献身的に言葉を教えようと努力します。まるでヘレン・ケラーの伝記のようでした。そうしてその娘は、ある日、町で開かれた音楽会でベートーベンの『田園交響曲』を聞き、牧師さんに尋ねます。「世界は、この音楽のように美しい色をしているのでしょうか。」すると牧師さんは、「その通りだよ。世界はともっと美しいのだよ」と答えます。

   もしそこまでで物語りが終わっていたとしても、この作品は福祉的な物語りとして感銘を与えたと思われます。ところがこの第一部の終わりで、牧師さんは長男のジャックが、娘さんにオルガンを教えているところを見てしまいます。そして彼が彼女と結婚したいとも考えていることを知ります。そこで、牧師さんは長男を娘さんから遠ざけます。

   そののち娘さんは目の手術を受け、目が見えるようになった時、自分が愛していたのが牧師さんではなく長男であったことに気がつき、牧師さんにたずねます。「あなたからいただい幸福は、何かしら私の無知の上に成り立っているような気がします。」「牧師さま、世界はあなたが信じさせてくださったほど美しいところではないんじゃないでしょうか? むしろその逆ではないんでしょうか?」「あなたは私に美しいものしか見せないようにしていたんですね」と。

   悲しいことに、親は子どもに、先生は生徒に、恋人は相手の異性に、自分が見せたいものしか見てほしくない、と思うことが出てきます。ある宗教も別の宗教のように世界を見てほしくないと思っているように・・。

(マナティー)