2018年12月 今月のことば

2018/12/03

   新島襄の幼名は「七五三太(しめた)」と言います。これは待望の長男誕生に祖父が「しめた!」と喜んだからだといわれています。ではいつから新島は「襄」という名前になったのでしょうか。

   それは新島が函館から脱国(密出国)をアメリカに向かう時のことでした。上海から乗り込んだワイルド・ローバー号のテイラー船長が最初に新島を「ジョー」と呼びました。おそらく「ニイジマ」も「シメタ」もアメリカ人にとっては呼びにくい名前だったのでしょう。もし船長が「トム」と呼んでいたら新島トムだったかもしれないと思うと何とも言えない気持ちになります。

   ところ「ジョー(Joe)」は「ジョセフ(Joseph)」の愛称です。ジョセフというのは聖書の人物で、新共同訳の聖書ですと「ヨセフ」となっています。聖書には複数のヨセフが出てきますが、有名なのは創世記に出てくるアブラハムのひ孫にあたるヨセフと、マタイによる福音書に出てくるイエス・キリストの父となるヨセフです。二人とも新島襄と同じように不思議な運命をたどった人物です。

   興味深いことにこの二人のヨセフには共通点があります。それは「夢」を通して神に助けられるということです。創世記のヨセフの場合は、冤罪で長いこと投獄されていましたが、神の助けでファラオのみた夢の解き明かし、信頼をえて顧問に取り立てられました。福音書のヨセフは身に覚えのない婚約者マリアの妊娠に悩みますが、夢に神の天使が表れ、マリアのお腹の子が神の子イエス・キリストであることを知らされ、その父となるのです。

考えてみると新島襄も「夢」を通して神に出会い導かれた人でした。「アメリカで学びたい」という夢を抱いて無謀とも思える密出国を企て、やがてクリスチャン、宣教師となり「日本にキリスト教によって心を育てる学校をつくりたい」という更なる夢を与えられました。

クリスマスにお生まれになるイエス・キリストの別名は「インマヌエル」。これは「神は我々と共におられる」という意味です。聖書の二人のヨセフがそうであったように、新島襄の生涯がそうであったように、どんな時も神は救い主イエスにより私たちと共にいてくださり、私たちの人生の「夢」を通しても働きかけ、導いてくださるのではないでしょうか。

(Beautiful Dreamer)