2014年4月

2014/03/27

 新入生のみなさん、ご入学おめでとうございます。入学されたばかりのみなさんに上掲の聖書の言葉は、過去の教訓のように響くでしょうか。これがイエスの言葉とは知らずに座右の銘としてきたひともあるかもしれません。一般には、困難な挑戦を後押しする言葉のように理解されているようです。

 けれども、イエスの時代に、「狭い門」の意味するところは少しばかり異なっていました。イエスが生きた古代地中海地方の諸都市では、外敵の侵入を防ぐために、都市全体が城壁に囲まれていて、出入りのためにはいくつかの大きな門が設置されていたのです。多くは中央にアーチ状の装飾が施された立派なものでした。戦勝の軍隊には凱旋の門であり、住民には権力への憧憬であり、為政者には支配の力を誇示するための場所、それが広く豪華な門だったのです。対照的に、その脇には小さな通用門がしつらえてありました。その「狭い門」を通り抜けるのは、身体に不自由をかかえているひとや、伝染病患者など往来の邪魔になると考えられていた人びとだけでした。「狭い門」は、社会から見捨てられ、広い門を通りぬけることを禁じられた人びとが集まる場所だったのです。

 最近、参加したあるシンポジウムで、世界で唯一の被爆国である日本が負っている使命とはなにか、と講師であった政治学者の姜尚中氏へ質問が寄せられました。質問者には、東日本大震災による福島第一原発事故のことが意識されていました。一瞬、会場が静まりかえったとおもったとき、慎重に考え込むような声で、「唯一の被爆国だから使命があるというその考えが、地震列島ともいうべきこの国に多くの原発をつくりつづける結果になったのではないか」という姜氏の応答が聞こえてきました。ひょっとすると、私たちは人生の指針だけではなく、理想や思想までも多くの人びとが殺到する広い門に求めてしまっているのかもしれません。姜氏の応答は、まさに虚を衝くようにして、会場の人びとに「狭い門」から入る思想のあり方とその重要性を訴えていたように感じました。

 同志社の創立者新島襄は、《我が校の門をくぐりたるものは、政治家になるもよし、宗教家になるもよし、実業家になるもよし、教育家になるもよし、文学家になるもよし、・・・ただかの優柔不断にして、安逸をむさぼり、いやしくも姑息の計を為すが如き、軟骨漢には決してならぬこと》(新島襄 片鱗集より)と語っています。同志社の門は、その競争率や志願者の数によってではなく、いたずらに他と同調しようとする誘惑に負けることなく、自分らしい生き方をしたいと願う若者にこそ開かれているのです。同志社の門は、すべてが一様に政治家や宗教家、あるいは実業家をめざすためのものではありません。あなたがあなたであるために通り抜けなければならない門であるというのです。新島はそれを「我が校の門」と言い、聖書はそれを「狭い門」と呼んでいるのです。

 始まったばかりの本学での学びが、みなさんご自身が自分らしく生き始めるためのかけがえのない「門」に通じていますようにと願ってやみません。                                                                                                             (ん)