1週間の聖句(6/24~6/28)を掲載しました。

2013/06/27

ヨハネによる福音書 4章13節~14節

 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」

 

コロサイの信徒への手紙 3章13~14節

互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。

 

コリントの信徒への手紙Ⅰ 12章14~20節

  体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。足が、「わたしは手ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。耳が、「わたしは目ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。もし体全体が目だったら、どこで聞きますか。もし全体が耳だったら、どこでにおいをかぎますか。そこで神は、御自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。すべてが一つの部分になってしまったら、どこに体というものがあるでしょう。だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。

 

詩編 3篇9節

救いは主のもとにあります。

あなたの祝福が

  あなたの民の上にありますように。

 

マタイによる福音書 6章24節

  「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」

 

創世記 18章26~33節

  主は言われた。

  「もしソドムの町に正しい者が五十人いるならば、その者たちのために、町全部を赦そう。」

  アブラハムは答えた。

  「塵あくたにすぎないわたしですが、あえて、わが主に申し上げます。もしかすると、五十人の正しい者に五人足りないかもしれません。それでもあなたは、五人足りないために、町のすべてを滅ぼされますか。」

 主は言われた。

  「もし、四十五人いれば滅ぼさない。」

  アブラハムは重ねて言った。

  「もしかすると、四十人しかいないかもしれません。」

 主は言われた。

  「その四十人のためにわたしはそれをしない。」

  アブラハムは言った。

  「主よ、どうかお怒りにならずに、もう少し言わせてください。もしかすると、そこには三十人しかいないかもしれません。」

 主は言われた。

  「もし三十人いるならわたしはそれをしない。」

  アブラハムは言った。

  「あえて、わが主に申し上げます。もしかすると、二十人しかいないかもしれません。」

 主は言われた。

  「その二十人のためにわたしは滅ぼさない。」

  アブラハムは言った。

  「主よ、どうかお怒りにならずに、もう一度だけ言わせてください。もしかすると、十人しかいないかもしれません。」

 主は言われた。

  「その十人のためにわたしは滅ぼさない。」

  主はアブラハムと語り終えると、去って行かれた。アブラハムも自分の住まいに帰った。

 

ペトロの手紙 4章10節

あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。

 

テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 5章16節

  いつも喜んでいなさい。

 

箴言 1章1~7節

 イスラエルの王、ダビデの子、ソロモンの箴言。

 

 これは知恵と諭しをわきまえ

 分別ある言葉を理解するため

 諭しを受け入れて

 正義と裁きと公平に目覚めるため。

 未熟な者に熟慮を教え

 若者に知識と慎重さを与えるため。

 これに聞き従えば、賢人もなお説得力を加え

 聡明な人も指導力を増すであろう。

 また、格言、寓話

 賢人らの言葉と謎を理解するため。

 

 主を畏れることは知恵の初め。

 無知な者は知恵をも諭しをも侮る。