1週間の聖句(5/13~5/17)
マタイによる福音書 20章 1節~16節
「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。それで、その人たちは出かけて行った。主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、彼らは、『だれも雇ってくれないのです』と言った。主人は彼らに、『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、彼らも一デナリオンずつであった。それで、受け取ると、主人に不平を言った。『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは』。主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか』。このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる」。
コリントの信徒への手紙Ⅰ 10章 14節~16節
わたしの愛する人たち、こういうわけですから、偶像礼拝を避けなさい。わたしはあなたがたを分別ある者と考えて話します。わたしの言うことを自分で判断しなさい。わたしたちが神を賛美する賛美の杯は、キリストの血にあずかることではないか。わたしたちが裂くパンは、キリストの体にあずかることではないか。
マタイによる福音書 14章 25節~33節
夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」。すると、ペトロが答えた。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください」。イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった。 舟の中にいた人たちは、「本当に、あなたは神の子です」と言ってイエスを拝んだ。
使徒言行録 2章 1節~4節
五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
詩編 51編 12節~14節
神よ、わたしの内に清い心を創造し
新しく確かな霊を授けてください。
御前からわたしを退けず
あなたの聖なる霊を取り上げないでください。
御救いの喜びを再びわたしに味わわせ
自由の霊によって支えてください。
コヘレトの言葉 7章 15節~22節
この空しい人生の日々に
わたしはすべてを見極めた。
善人がその善のゆえに滅びることもあり
悪人がその悪のゆえに長らえることもある。
善人すぎるな、賢すぎるな
どうして滅びてよかろう。
悪事をすごすな、愚かすぎるな
どうして時も来ないのに死んでよかろう。
一つのことをつかむのはよいが
ほかのことからも手を放してはいけない。
神を畏れ敬えば
どちらをも成し遂げることができる。
知恵は賢者を力づけて
町にいる十人の権力者よりも強くする。
善のみ行って罪を犯さないような人間は
この地上にはいない。
人の言うことをいちいち気にするな。
そうすれば、僕があなたを呪っても
聞き流していられる。
あなた自身も何度となく他人を呪ったことを
あなたの心はよく知っているはずだ。
詩編 82編 3節~4節
弱者や孤児のために裁きを行い
苦しむ人、乏しい人の正しさを認めよ。
弱い人、貧しい人を救い
神に逆らう者の手から助け出せ。
マタイによる福音書 11章 28節~30節
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。 わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。
わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。
コリントの信徒への手紙Ⅰ 13章 4節~7節
愛は忍耐強い。愛は情け深い。妬まない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、怒らず、悪をたくらまない。不正を喜ばず、真理を共に喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
マタイによる福音書 7章 15節~18節
「偽預言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、その内側は貪欲な狼である。あなたがたは、その実で彼らを見分ける。茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるだろうか。すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。良い木が悪い実を結ぶことはなく、また、悪い木が良い実を結ぶこともできない」。
(日本聖書協会 『聖書 新共同訳』より)