1週間の聖句(11/18~11/22)

2024/11/25

ヨハネによる福音書 6章 48節~51節

「わたしは命のパンである。あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。しかし、これは、天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない。わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである」

 

マタイによる福音書 7章 7節~8節

「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる」

 

コリントの信徒への手紙Ⅱ 4章 18節

わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。

 

ルカによる福音書 13章 22節~25節

イエスは町や村を巡って教えながら、エルサレムへ向かって進んでおられた。すると、「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」と言う人がいた。イエスは一同に言われた。「狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ。家の主人が立ち上がって、戸を閉めてしまってからでは、あなたがたが外に立って戸をたたき、『御主人様、開けてください』と言っても、『お前たちがどこの者か知らない』という答えが返ってくるだけである。

 

詩編 13編 6節

あなたの慈しみに依り頼みます。
わたしの心は御救いに喜び躍り
主に向かって歌います
「主はわたしに報いてくださった」と。

 

ローマの信徒への手紙 12章 9節~10節

愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、
兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。

 

ローマの信徒への手紙 3章 19節~20節

さて、わたしたちが知っているように、すべて律法の言うところは、律法の下にいる人々に向けられています。それは、すべての人の口がふさがれて、全世界が神の裁きに服するようになるためなのです。

なぜなら、律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされないからです。律法によっては、罪の自覚しか生じないのです。

 

マルコによる福音書 12章 41節~44節

イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである」。

 

マタイによる福音書 5章 9節

平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。

 

(日本聖書協会 『聖書 新共同訳』より)