1週間の聖句(10/19~23)
マタイによる福音書 5章 14~16節
「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」
ヨハネによる福音書 10章 11~16節
わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。――狼は羊を奪い、また追い散らす。――彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。
ヨハネによる福音書 15章 5節a~b
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。
ヨハネによる福音書 3章 16節
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
(日本聖書協会 『聖書 新共同訳』より)
コリント前書 13章(文語訳)
たといわれ、もろもろの国人の言葉および御使いの言葉を語るとも、
愛なくば、鳴る鐘やひびく鐃鈸の如し。
たといわれ、予言する力あり、
またすべての奧義とすべての知識とに達し、
また山を移すほどの大いなる信仰ありとも、
愛なくば、数うるにたらず。
たとい我、わが財産をことごとく施し、またわが体を焼かるるためにわたすとも、
愛なくば、我に益なし。
愛は寛容にして慈悲あり、
愛はねたまず、愛はほこらず高ぶらず、
非礼をおこなわず、おのれの利を求めず、
いきどおらず、人の悪をおもわず、
不義を喜ばずして、真理の喜ぶところを喜び、
おおよそ事忍び、おおよそ事信じ、おおよそ事望み、おおよそ事耐うるなり。
愛はいつまでも絶ゆることなし、
されど予言はすたれ、異言はやみ、知識もまたすたらん。
それ我らの知るところ全からず、我らの予言も全からず、
全き者の来らん時は全からぬ者すたらん。
われ童児の時は語ることもわらべの如く、
思うこともわらべの如く、
論ずることもわらべの如くなりしが、
人となりては、わらべのことを棄てたり。
今われらは鏡をもて見る如く、見るところおぼろなり、
されどかの時には顏を合せて相見ん。
今わが知るところ全からず、
されどかの時にはわが知られたる如く、全く知るべし。
げに信仰と望みと愛と、この三つのものは限りなくのこらん、
しかしてそのうち最も大いなるは愛なり。
(讃美歌Ⅰ編 『交読文』より)