1週間の聖句 (7/18~7/22)

2022/07/25

エレミヤ書 31章13節

 そのとき、おとめは喜び祝って踊り
 若者も老人も共に踊る。
 わたしは彼らの嘆きを喜びに変え
 彼らを慰め、悲しみに代えて喜び祝わせる。

 

マタイによる福音書 5章13~16節

 「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」

 

ルカによる福音書 17章20~21節

 ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。

「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」

 

コヘレトの言葉 1章2~3節

 コヘレトは言う。
 なんという空しさ
 なんという空しさ、すべては空しい。
 太陽の下、人は労苦するが
 すべての労苦も何になろう。

 

マルコによる福音書 14章32~42節

 一同がゲツセマネという所に来ると、イエスは弟子たちに、「わたしが祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。そして、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴われたが、イエスはひどく恐れてもだえ始め、彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい。」少し進んで行って地面にひれ伏し、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈り、こう言われた。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」それから、戻って御覧になると、弟子たちは眠っていたので、ペトロに言われた。「シモン、眠っているのか。わずか一時も目を覚ましていられなかったのか。誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」更に、向こうへ行って、同じ言葉で祈られた。再び戻って御覧になると、弟子たちは眠っていた。ひどく眠かったのである。彼らは、イエスにどう言えばよいのか、分からなかった。イエスは三度目に戻って来て言われた。「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。もうこれでいい。時が来た。人の子は罪人たちの手に引き渡される。立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た。」

 

 

フィリピの信徒への手紙 3章12~14節

 わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。

 

詩編 94編17~19節

 主がわたしの助けとなってくださらなければ
 わたしの魂は沈黙の中に伏していたでしょう。
 「足がよろめく」とわたしが言ったとき
 主よ、あなたの慈しみが支えてくれました。
 わたしの胸が思い煩いに占められたとき
 あなたの慰めが
 わたしの魂の楽しみとなりました。

 

テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 5章16~18節 

 いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。

 

(日本聖書協会 『聖書 新共同訳』より)