1週間の聖句 (5/30~6/3)

2022/06/06

ヨハネによる福音書 15章5節

 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。

 

詩編 46編2節

 神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。
 苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。

 

詩編 66編1~2節

 全地よ、神に向かって喜びの叫びをあげよ。
 御名の栄光をほめ歌え。
 栄光に賛美を添えよ。

 

創世記 2章7節

主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。

 

マタイによる福音書 6章 25~28節

 「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。」

 

マタイによる福音書 8章14~17節

 イエスはペトロの家に行き、そのしゅうとめが熱を出して寝込んでいるのを御覧になった。イエスがその手に触れられると、熱は去り、しゅうとめは起き上がってイエスをもてなした。夕方になると、人々は悪霊に取りつかれた者を大勢連れて来た。イエスは言葉で悪霊を追い出し、病人を皆いやされた。それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。

「彼はわたしたちの患いを負い、わたしたちの病を担った。」

 

詩編 95編1~2節

 主に向かって喜び歌おう。
 救いの岩に向かって喜びの叫びをあげよう。
 御前に進み、感謝をささげ 
 楽の音に合わせて喜びの叫びをあげよう。

 

コリントの信徒への手紙Ⅰ 13章1~7節

 たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。

 

マタイによる福音書 5章9節

 平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。

 

(日本聖書協会 『聖書 新共同訳』より)