記念対談 女子写真の潜在力

SEITOフォトコンの可能性

※掲載情報は2013年5月13日時のものとなります。

二〇〇八年度「きずな」

森:
写真によって「今この時代を生きている女性たちが、何を感じ、何を夢見ているのか」が残されるとすれば、「SEITOフォトコン」は、「女子高生が何を感じ、何を夢見ているのか」を見る一つの契機になるのだと思います。ここからは具体的に、「SEITOフォトコン」入賞・入選者の作品を振り返って、感想をいただきながら進めたいと思います。二〇〇八年の第一回目は「きずな」というテーマで募集しました。特に印象に残った作品はありますか?
綾:
まず、初年度はテーマをシンプルに捉えて、人と人がつながっているというのをストレートに表現した写真が多く、それがいい成果を生んでいると思います。その中で、ちょっと昭和三〇年代の雰囲気を見せるような、杉山夢さんの『ぬくもり』とか、あるいは友だちのアップの写真、高山夏希さんの『碧 ミドリ』とか、一見すると女子高生の感性とは違うようなものも入っていて、意外性があって面白いなと思いました。
森:
この年、おじいちゃん、おばあちゃんが多いような気がします。そして子どもですよね。子どもの数も相当多い。反面、自分を生んでくれた母親や父親が、一番身近でありながら意外と少ないような気がして。それはどういうことなんでしょう。我々からすれば、今の女子高生が父親や母親をどう捉えているかというのは興味のあるところですが。彼女たちは捉えたくないんでしょうか(笑)。
綾:
一〇代の思春期なので、親を一番うるさく感じる時期ではあるかもしれない。そういう意味では、その素直な感情が反映されているのかもしれません。反対に親をどう見ているのか、写真化してもらうというのは本当に興味があります。

学生時代の自分の気持ちあるいは将来の夢について、
どれくらい自分の気持ちに沿って、
そのまま伸ばせるかというのがすごく大切だと思います
- 綾 -

森:
谷本真理さんの『小さな日常』、これは珍しくご両親ですね。まぁ、見られたくないですね、これ、自分が被写体だったとしたら(笑)。
綾:
疲れ切って家のソファの下に寝転んでいるというのもリアルに感じます。

二〇〇九年度「物語[ものがたり]」

森:
二〇〇九年のテーマは「物語[ものがたり]」でした。ちょっと難易度が高かったかもしれません。
綾:
広がりのあるテーマなので、写真の幅も広いという感じがします。最優秀賞の作品、加藤達子さんの『 Just in time. 』については、写真としての完成度が高いというか、いろんな捉え方ができる物語性が含まれている。
森:
もうすでに、一定の表現力が身についている人の作品ですね。とりあえずカメラを持って、街をぶらぶらして撮れたという作品ではない。構図とか、遠近の見せ方、光の捉え方、いろんな点で表現力のある生徒さんだなと思います。
綾:
テーマ性にもすごく合っていて。あとの方もご自身が物語をどこに感じるかという視点から作品を撮っている。多様性においてはやはり二年目の方があると思います。
これから物語がスタートするのかなという気配を感じさせる作品もあるので、その意味ではちょっと違う要素が入ってきているのかなと。風景的なもの、物的なものも結構捉えておられます。

二〇一〇年度「Live」

森:
そして二〇一〇年。「Live」というテーマでした。
綾:
この「Live」というテーマが、生きるというのと、一種のライブ感というような、二つの捉え方があるので、両方のテーマ性の写真が混在しているという印象を受けました。すごく躍動感があるような、跳んでいたりする写真と、おじいさん、ホームレスの方が出てきたりする写真は、これまでにはないのかなと。人生をどう生きていくか、そんな写真が入ってきています。テーマ性の捉え方がはっきりしているのが、この年の特徴のように思います。
森:
川畑亜未さんの『ただいま浮遊中』はノスタルジックな、かつてのオリンピック写真のようにも見えたり。
綾:
意図的にそうされていると思うのですが、二一世紀とは思えないような。
森:
他には昆虫や動物の写真があります。動物や昆虫などを相手にするというのは本当に大変で、時間との闘いというか、待ちに待って撮れるか撮れないかですよね。
綾:
人間と全く違う空間と時間を生きているわけですから、それに付き合うことの意味、あるいは動物を飼っていたりすると、そこで見ていること、感じていることが入ってくるのかなと思います。
森:
猫や犬などのペット、家族の一員としての動物を撮影した写真は、常に多いです。そういう写真と、自然の中に分け入って、とことん自然と付き合うことは、表現としては相当違うと思いますが。
綾:
昆虫写真というのは、人間とは違うものをいかに把握し、かつ人間もその一部であるということを体感できることが大切だと思うんですけど。ただイメージとしては大量に見てしまっているので、イメージとして見るか、あるいは体験としてそれを見るのかでだいぶ見え方が変わるように思います。

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