記念対談 女子写真の潜在力

SEITOフォトコンの可能性

※掲載情報は2013年5月13日時のものとなります。

ギャラリストの綾智佳さんをお招きし、
SEITOフォトコン五年間の軌跡をたどりながら、
女子高校生による写真表現の潜在力を探るとともに、
コンテストの意義や今後について対談を行いました。

綾 智佳
サードギャラリーAya

森 公一
同志社女子大学
学芸学部情報
メディア学科教授

綾 智佳
Aya Tomoka
大阪生まれ。1996年The Third Gallery Aya 設立、ギャラリーオーナーディレクター。

石内都、牛腸茂雄、山沢栄子、岡上淑子、赤崎みま、浅田暢夫、渡邊耕一、垣本泰美などの展覧会を開催。近年、世界の写真及び現代美術の現状とリンクする機能を持つギャラリーを目指し、アートフェアにも出展。1997年「6Works+6Artists しごと-作家/ 写真家であることを選んで」6人の作家のインタビュービデオを制作。2002年作家による雑誌「写場写場」を監修、これは2005年に最終号を刊行。2007年「Comical & Cynical - 韓国と日本の現代写真」を企画、翌年韓国にも巡回。2012年「Quiet Boys-男の子写真は可能か?」を企画、MIO PHOTO OSAKAにて展示。
http://www.thethirdgalleryaya.com/

森 公一
Mori Kohichi
同志社女子大学情報メディア学科教授、京都大学医学研究科客員研究員。

映像、マルチメディアコンテンツなどの制作を経て、2000年以降は、メディアアートに関連する作品の制作、書籍の出版、展覧会やワークショップのオーガナイズなど、多様なプロジェクトをてがける。現在は脳波や呼吸など、人の生体情報を用いたバイオフィードバック・システムとしての実験的アートに関心を持ち、メディアアートと脳神経科学を融合し、芸術的体験を提供することと科学的知見を探ることを同時に成立させるプロジェクトに挑戦している。

世界で唯一の女子高生対象の写真コンテスト

森:
「SEITOフォトコン」は二〇〇八年から始まり、今年で五年目を迎えました。その記念すべき年に、これまでの入選作や入賞作を一冊の写真集にまとめることになりました。そこで本日は写真と現代美術を扱うギャラリー「サードギャラリーAya」のディレクターである綾智佳さんをお迎えし、「SEITOフォトコン」の五年間の軌跡を振り返ってみたいと考えました。
綾さんが写真専門のギャラリーを開設されたのが一九九六年、以来ギャラリストとして先駆的な活動を続けてこられました。僕の知る限り、女性写真家を中心に扱った写真専門ギャラリーとしては日本で唯一ではないかと思います。最近では、日本を代表する写真家石内都※1のマネジメントや、国際的なフォト・アートフェアであるパリフォトへの参加など、ギャラリストという立場から日本の女性写真家たちの表現活動を力強く支えておられます。
というわけで本日は専門家のお立場から、世界で唯一の女子高校生にターゲットを絞ったフォトコンテスト「SEITOフォトコン」の五年間を、ご評価いただければと思ってます。

世界で唯一の女子高生を対象とした
写真コンテストが、ここで開催されている。
それがすごいというのが、一番大きな感想です。
- 綾 -

綾:
今から一五年くらい前、若い女性たちが写真を撮って表現したりとか、表現とまではいかなくてもお互いに写真を撮り合ってコミュニケーションのツールにするということを本当に普通にするようになった。ギャラリーを始めたころ、ちょうどそのブームが大きく盛り上がったので、私の周りの写真家は若い女性がすごく多かった。私も当時は、年が近いこともあって、一緒に仕事をするのが本当に楽しかったんです。
それで日本の、同志社女子大学で、こういう形の写真コンテストが開催されているのは、必然があるような気がします。実際、賞を取られている方の写真を見ても、私たちがずっと見てきた写真の流れの先に彼女たちがいるのを感じます。

それぞれの持つ個性や社会的問題意識が
本当に表現されているいるような気がします
- 森 -

森:
振り返れば一九七〇年代あたりまでは、例えば被写界深度だとか、レンズの特性だとか、技術的なことを理解しなければ写真は撮れないというハードルの高さがあって、女性が入っていくチャンスが少なかった。しかし、八〇年代にはピント調整すら要らないレンズ付きカメラが大普及したり、アラーキー(荒木経惟)※2のように、被写体との距離感が極めて近い、身近でプライベートな写真が表現として注目を浴びるようになります。この時代、簡単に撮れるハードウェアの手軽さと、身近でプライベートな被写体であっても表現として成立するんだという気分が、意欲的な女子たちを写真に引き寄せたように思います。
こうして九〇年代、HIROMIXや長島有里枝※3、蜷川実花※4のような女性写真家が一躍脚光を浴びるようになり、一気にガーリーフォトのムーブメントにつながった。もちろん、若い女性によるプライベート写真の物珍しさが、単にジャーナリスティックに騒がれた面もあります。しかし、女性が写真を表現のツールとして自覚し、大きな潮流となったのはやはりこの時点からでしょう。
まさにその時代、綾さんはギャラリストとしての仕事を始められ、その変遷を見てこられたわけですが、「SEITOフォトコン」が大きくはその流れの延長にあるのではないかというご指摘ですね。
綾:
はい、いい意味で。写真の状況が世界の他のどの地域とも違う状況が今の日本にあるし、そのスタートが、一五年くらい前にあったと思います。
森:
あえて女子高生だけをターゲットにした写真コンテスト。男子を排除している点で賛否はあると思いますが、メリットもたくさんあると思います。その辺りは何かお感じになられることはありますか?
綾:
女性だけというくくりに関しては、本当にいろんな見方があると思います。日本という大きな枠組で見た場合には、やはりまだ男性と女性の社会的な地位というのは、残念ながら女性の方が低い。いわゆる平均的給与や生涯賃金に関しても先進国の中ではかなり低い。それにもつながる形で日本の女性の力が十分に活用されてないというのは、世界から批判されるほどです。
この状況においては女性という枠組みを設けて、彼女たちが持っている力を最大限生かす場をつくるというのは、まだ有効かと思います。だからこそ女子大学や女子校が今もあるというのは、すごく意味があるのかなと。それがずっとあった方がいいのか、あるいは変わったほうがいいのかということに関しては、なかなか難しいとは思うのですが。少なくとも今の段階においては有効であると感じます。
森:
一方、現在では多くの女性写真家が実に多様な表現をしているので、わざわざ女性らしさという観点を持ち出さなくてもよいのではないかとも思います。それぞれの持つ個性や社会的問題意識が、本当に多様に表現されているような気がします。この多様性という点についてはどうでしょうか?
綾:
私自身はその多様性というのが広がっていると感じています。今は自分が思ったことをそのままストレートに出すことに対して何のてらいもないですし、それを形にできるハードもありますし。やはりそれは全く比較にならないくらい広がっていると思います。
森:
それでもなお、女性は女性というカテゴリーで、囲い込みながら表現を伸ばしていくのがよいと思われますか?
綾:
いったん社会に出てしまうと女性のおかれている立場は苛酷なところもあると思うので、その前の段階である学生時代に自分の気持ちあるいは将来の夢について、どれくらい自分の気持ちに沿って、そのまま伸ばせるかというのがすごく大切だと思います。そのとき、女性という枠組みを設けた、自由にできる環境があるというのは、やっぱりまだ大切かなと。
森:
女性が社会においてコミュニケーションするためのツールを手に入れ、普遍化してきたということは、とても喜ばしいことだと思います。写真を通じて女性の肉声、女性の気持ちを聞くことができる。もちろん作品には強い社会的批評性を持ったものもあれば、極めて個人的な、まさに半径五メートルの感覚もある。そのような幅を持った女性の表現、女性の訴えが、僕はいい形で社会を変えていく可能性があると感じます。
しかし、女性が今置かれている状況というのは大変で、仕事の関係で表現ができなくなってしまうとか、ある程度までがんばっても結局は出産によって表現から離れてしまわざるを得ない、元に戻れない。そういう状況があるからこそフレームをつくって囲い込みをしながら、女性の表現の場を支える、あるいは育てていくということが大事なのだと思います。
綾:
本当にそう思います。表現って、アーティストという話までいかないにしても、その時代に生きた人が何を考え、何を感じていたか、何を夢見ていたか、ということが形になって残るということなのだと思っています。そういう意味では、今まですごく限られた一部の人によってしか、表現はされてこなかった。歴史的には権力者の思いが政治的な意味も含め、形になって残ってきたというのが現実だと思います。そうではない一般の男性、特に女性たちの思いはこれまで表現されてこなかったんですね。
それが今は形になって世の中に出ている、また残っていくというのは、やはりすごく意味があると思うんですね。社会として、それを受け止める状況があるというのは、大切なことだと思います。そのときに、初めのある部分は枠組をつくってサポートしていくというのは、有効に働くのかなと。まだその時期にあるだろうと思います。

※1 石内 都 Ishiuchi Miyako
1947年群馬県生まれ。写真家。『絶唱、横須賀ストーリー』(1979年出版)などの初期三部作で街の空気、気配、記憶を捉えた都市写真を発表し、『1・9・4・7』(1990年出版)以降、身体の部位や傷跡などをクローズアップした作品を撮り続ける。近年の作品集に広島の被爆者の遺品を撮影した『ひろしま』(2008出版)などがある。
左―石内 都『ひろしま』 集英社、2008年

※2 荒木 経惟 Araki Nobuyoshi
1940年東京生まれ。"天才アラーキー"の愛称で知られる写真家。これまで450冊以上の写真集を発表しており、人物、花、バルコニー、都市など多様な被写体を独自の視点で撮りつづけている。代表作に『さっちん』(1964年出版)、『センチメンタルな旅・冬の旅』(1991年出版)、『チロ愛死』(2010年出版)などがある。
左―荒木経惟『さっちん』 新潮社、1994年

※3 長島 有里枝 Nagashima Yurie
1973年東京都生まれ。1993年 アーバナート#2展でパルコ賞受賞。1995年 武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科卒業。1999年 California Institute of the Arts MFA修了。2001年『pastime paradise』(マドラ出版)で第26回木村伊兵衛写真賞受賞。2010年『背中の記憶』(講談社)で第26回講談社エッセイ賞受賞。主な写真集に『SWISS』(2010年)、『not six』(2004年)、『家族』(1998年)など。
左―長島有里枝『empty white room』 リトルモア、1995年

※4 蜷川 実花 Ninagawa Mika
1972年東京生まれ。フォトグラファー、映画監督。人物、静物写真を中心に、鮮やかな色彩を特徴とした作風で知られる。『Sugar and Spice』(2000年出版)、『Pink Rose Suite』(2000年出版)で木村伊兵衛写真賞を受賞。近年は『NINAGAWA MEN 1』『NINAGAWA WOMAN 2』(2013年出版)を2冊同時発表。
左―『Pink Rose Suite』 エディシオン・トレヴィル、2000年

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