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新しきを、生きる人

Always rising to a new challenge
多彩な業界で活躍する同女の卒業生インタビュー

世界を舞台に、
人の可能性を育み、
看護の未来をひらいていく。

#03

静岡県立大学
看護学部看護学科(国際看護学・看護管理学) 教授
看護学研究科(国際看護学・看護管理学) 教授(兼務)
看護学部 副学部長
竹熊 カツマタ 麻子(たけくま かつまた あさこ)

静岡県
次世代の看護リーダーを育てる国際看護学者

静岡県立大学
看護学部看護学科(国際看護学・看護管理学) 教授
看護学研究科(国際看護学・看護管理学) 教授(兼務)
看護学部 副学部長

竹熊 カツマタ 麻子(たけくま かつまた あさこ)

学芸学部 英語英文学科
1990年3月卒業
Interview01

看護の未来を支える、
次世代リーダーを育てる。

現在、静岡県立大学で国際看護学を専門に、研究や教育に携わっています。その背景にあるのは、世界保健機関(WHO)が掲げる「すべての人に健康と福祉を」という理念です。その実現に向けて、私は大学という研究・教育の立場から、看護に携わる一人ひとりが能力を発揮し、自分らしく働き、生きられる社会づくりに取り組んでいます。私が大切にしているのは、「Human Flourishing(人間の開花)」という考え方です。人は、自分で考え、自分で選び、自分らしく行動できる環境があってこそ、本来の力を発揮できます。そして、一人の成長は組織を変え、地域を変え、やがて社会全体をより豊かな方向へ導いていく。私は、その可能性を信じています。その考えを軸に、日本国内だけでなく海外にも活動フィールドを広げ、看護管理者や若手研究者の育成、国際協力、組織開発に取り組んでいます。

私の研究室には、看護の領域でそれぞれの使命をもつフロントランナーが、国内外から訪れています。「看護師がいきいきと働ける職場をつくりたい」「研究を通して、国の看護をもっと良くしたい」。そんな想いを持った臨床看護師や教育者、研究者たちと日々議論を重ねながら、それぞれの問いに向き合っています。海外から教員や研究者を受け入れることもあれば、日本の看護師や研究者とともに海外へ赴くことも。アメリカでは看護ケアの質向上を目的とした研修を実施し、モンゴルでは現地の医科大学と共同研究を行っています。食生活やライフスタイルに合わせて患者さん自身が健康を管理できるプログラムを開発したり、現地大学で非常勤講師として教育に携わったりと、活動は多岐にわたります。

このように、国内外で看護師の働き方や職場環境、看護の質向上に向けて、教育や研究開発に励んできた私。めざしているのは、知識や技術を教えることだけではありません。それぞれが自分自身の問いを持ち、自ら考え、周囲を巻き込みながら次世代の看護をひらくリーダーを育てることです。学生が研究者になり、研究者が教育者になり、その人がまた次の世代を育てていく。そんな学びと実践の循環が社会に広がれば、看護だけでなく、医療や地域、そして社会そのものも少しずつ変わっていくのではないかと思っています。今振り返ると、最初からこの道を思い描いていたわけではありません。自分で綿密なキャリアプランを立てて歩いてきたというより、その時々で出合った問いに導かれ、自分なりに答えを探し続けてきた結果だったように思います。その最初の転機は、同志社女子大学で過ごした学生時代にありました。

Interview02

一つの出合いが、
人生の進路を変えていく。

入学式の日、同志社の徽章が染め抜かれた大きな紫の旗が掲げられた栄光館で、坂本清音先生が開会の祈りを捧げられたことを今でも鮮明に覚えています。組織のなかでリーダーシップを発揮する女性の姿に触れ、「女性が社会を牽引する存在になれる」ということを初めて身近に感じました。同志社女子大学で過ごした4年間は、私にとって英語を学ぶだけではなく、自分の世界を少しずつ広げていく時間でもありました。特に大きな学びを得たのが、3年生の時に、第一期派遣留学生としてアメリカ・バージニア州のメアリー・ボールドウィン大学へ留学したことです。文化人類学を学ぶなかで、私は人という存在にますます興味を持つようになりました。文化や宗教、歴史によって、人の価値観や暮らし方はこんなにも違うのか。同じ出来事でも、立場が変われば見え方は大きく変わる。その面白さに魅了され、人を多角的に見る視点を学びました。帰国の際、恩師からいただいた言葉があります。「将来、博士号を取って研究者になりなさい。」当時、そのような未来を想像したこともありませんでしたが、その言葉は、後に研究者として歩む人生の小さな種を、私の心に蒔いてくださったのだと思います。

一方で、大学の外にも私の人生を大きく変える出合いがありました。学生時代、京都市内で続けていた地域活動です。こどもの学習支援や地域のボランティアを通して、多様な背景を持つ方と出合い、その中で親しくなった一人暮らしのおじいさんが、ある夏に亡くなったのです。今思えば、熱中症だったのだと思います。その知らせを受けたとき、「もし自分にもっと看護や医療の知識、技術があったなら、この人の命を救えたかもしれない」。そんな無力感が強く胸に残りました。ちょうど進路を考える時期でもあり、同志社女子大学で学んだ英語を生かして英語教員になる道もありましたが、「学び直すなら今しかない」と奮起し、看護学校へ進むことを決意。私が看護という新しい世界へ踏み出した、人生最初の大きな転機でした。

Interview03

アメリカへ渡り、再スタート。
大学職員×臨床看護師×博士号取得を両立。

看護学校の在学中に結婚、出産を経験し、卒業するときには母親になっていた私。当初は臨床看護師として働くことを考えていましたが、赤ちゃんを育てながらの勤務は現実的ではなく、思いがけないご縁が人生を大きく動かします。英語を学んできたこと、そして看護師免許を取得したこと。その両方を生かせる人材を探していた佐賀医科大学から声を掛けていただき、助手として働くことになったのです。教育や研究の現場に身を置くのは初めての経験でしたが、この出合いが、大学というキャリアを歩み出す入り口となりました。その後、教育や研究に携わる一方で、企業経営を学び修士号を取得。同時に、家庭では離婚という大きな転機を迎えます。幼い息子とふたりで歩んでいく未来を考えたとき、私はもう一度、自分自身に問いを投げかけました。「本当にやりたいことは何だろう。誰のために生きるべきなのか」。そして出した答えが、アメリカへ移住することでした。

イリノイ州で、新たな人生を歩み出した私。しかし仕事がなかなか見つからず、精神疾患をもつ患者さんの暮らしをサポートする地域の保健センターでのボランティア活動を始めました。そうした日々を送るなかで、イリノイ大学の職員として働く機会に恵まれます。さらに一定条件をクリアすれば、授業料免除で大学院に通い、博士号を取得できる制度があると知り、私はそのチャンスを掴むことができたのです。それから私は、昼は大学職員として働き、夜や週末は看護師として病院に勤務し、息子を養いながら、その合間に大学院で学ぶ毎日を10年近く続けることになります。大学院では看護管理やリーダーシップ、組織開発を学び、2011年に博士号を取得しました。

Interview04

恩師からの言葉が、
人生の転機のなかも、次の道を照らしてくれた。

しだいに、看護部長として臨床の現場を率いる立場になり、看護の世界で一つのキャリアを築くことができました。その一方で、研究や教育、臨床と、人生の節目ごとに進むべき道を考え直す機会も少なくありませんでした。そんなとき、いつも私の背中を押してくれたのが、恩師や指導者からいただいた三つの言葉です。

ひとつ目は、「あなたの理想の看護をしたければ、それを実現できるポジションに就きなさい」。佐賀医科大学で働いていた頃にいただいた言葉です。現場を変えたいなら管理者になる。教育を変えたいなら研究者になる。制度を変えたいなら、その議論に参加できる立場をめざす。自分の主体性や自立性を発揮できる場所を選ぶことの大切さを、この言葉から学びました。

ふたつ目は、「あなたのしていること、したいと思っていることは、あなたの人生にとって意味のあることですか?それが最も重要です」。イリノイ大学の教授から繰り返し問いかけられた言葉です。私自身も、その時々の役割や立場に向き合いながら、「今、自分が進んでいる道は、本当に大切にしたいことにつながっているのか」を何度も問い直してきました。そしてたどり着いたのが、「礼は尽くせど魂は売らず」という考え方です。どんな立場にあっても、与えられた役割には誠実に向き合う。一方で、自分の価値観や信念だけは決して手放さない。その姿勢を今も大切にしています。

そして最後に、「あなたがこの世を去る時に残るものは、あなたのレガシーだけです」という言葉。これは大学時代、指導教員から掛けられた言葉です。後世に残るものは、自身の肩書や業績ではありません。自分が誰かに伝えたこと、その人がまた次の世代へ受け渡していく「教育」こそが、本当に社会に残る価値なのだと教えられました。この教えが今、教育や研究に携わる原点にもなっています。

Interview05

看護師が輝けば、
社会はもっと豊かになる。

アメリカで看護師として働き、教育や研究に携わるなかで、私が最も驚いたことがあります。 れは、看護師一人ひとりが、自分の仕事に強い誇りを持っていることでした。アメリカでは、看護師は社会から最も信頼される専門職の一つとして認識されています。毎年行われる職業信頼度調査でも、2001年の同時多発テロ直後に消防士が1位となった年を除けば、長年にわたり看護師が最も尊敬される職業として選ばれてきました。「私たちは社会から信頼されている専門職である」。そんな自覚を、多くの看護師が自然と抱いています。

一方、日本の臨床現場では、看護師が自分自身を控えめに語る場面をたびたび目にしてきました。もちろん、日本には謙遜を美徳とする文化があります。けれど、それだけでは説明できないものもあるように思います。長時間夜勤や慢性的な人手不足、厳しい労働環境のなかで、多くの看護師が声を上げることなく現場を去っていく現実。しかしアメリカには、一つの病院で30年、40年と誇りを持って働き続ける看護師が数多くいます。高度実践看護師や管理職、教育者、研究者へとキャリアを広げ、将来への展望があることも、高収入で経済的なうるおいがあることも、専門職としての誇りにつながっているのだと思います。

だから私は、看護の世界を志す学生たちによく問いかけます。「皆さんは、自分たちがどんな環境で働くことになるのか知っていますか」。そして、もう一つ伝えています。「根性で耐える必要はありません。より良い看護を実現したいなら、自分たちで環境を変えていかなければいけません」。看護師は、患者さんを支えるだけの存在ではありません。より良い医療をつくり、組織を変え、社会を変えていく専門職です。私は病院の中から組織を変える道ではなく、大学という立場から、その力を持った人を育てたいと考えています。自分の仕事に誇りを持ち、課題に気づき、声を上げ、行動できる看護師を育てること。その人たちが現場を変え、次の世代を育て、やがて社会を変えていく。それが、私が「Human Flourishing(人間の開花)」という言葉に込めている願いであり、これからも挑戦し続けたいことです。

Turning Point

ターニングポイント

人と比べず、自分だけの道をひらくこと。

学生から進路相談を受けると、いつも伝えることがあります。「人と比べなくていい」ということです。社会に出れば、一人ひとり違う人生を歩みます。だからこそ、自分が得意なこと、心から愛せるものを大切にしてほしい。私自身も、英文学、看護、研究、教育、国際協力と、一見つながりのない経験を重ねてきました。その過程で問い続けてきたのは、「私にしかできないことは何か」「私にしか語れないことは何か」ということです。迷ったときは、勇気を持って一歩踏み出してみること。その先で出合う人や経験が、自分らしさを育て、自分だけの道をつくってくれると信じています。

My Rule

仕事のマイルール
教育者として、そして組織を率いる立場として、いつも心に留めていることがあります。それは、仕事で出合う一人ひとりを大切にすることです。学生も、同僚も、職員も、それぞれに強みや可能性を持っています。だから、上から押さえつけるように管理するのではなく、その人が持っている力を引き出し、自分らしく成長できるようなサポートを大切にしています。
くらしのマイルール
毎朝、5,000メートルの漕艇をすることを習慣にしています。運動は認知機能や心臓の健康にも良い影響があることが分かっていますし、頭の中を整理したいときは歩いたり走ったりすることもあります。実は、もともと運動は好きではありません。だからこそ、「今日はやめよう」と思わないように、運動は習慣化して心がけています。

わたしにとって、挑戦とは?

Define of challenge
自分の心に従う