新しきを、生きる人
伝統工芸「真田紐」。
途絶えかけた産業の
担い手となり、未来へ紡ぐ。
坂本織物有限会社 専務取締役
坂本 早苗(さかもと さなえ)

坂本織物有限会社 専務取締役
坂本 早苗(さかもと さなえ)
1989年 卒業
観光や産業の衰退、職人の高齢化。
待ったなしの状況に、「継ぐ」決断を。
同志社女子大学を卒業した1989年の春。家業を手伝うために、地元の倉敷市・児島に戻ってきました。主に手芸やスキー用品に使われる「細幅織物」を製造する会社「坂本織物」。その創業者である父から、「事務を手伝ってほしい」と言われたのがきっかけです。でも、「ただ手伝うために戻った」わけではありません。高校生の頃からずっと抱いていた「自分も何か表現したい」という想い。それは実家を離れ、同志社女子大学で学生生活を送っていた間も消えることはありませんでした。
倉敷市・児島は、今でこそジーンズの町として知られていますが、もともとは細幅織物で栄えた地域です。その代表が「真田紐」。その発祥は諸説ありますが、江戸時代中期にこの地へ伝わり、茶道具の箱紐や帯締め、また旅のお土産や贈りものとして親しまれてきました。かさばらず、丈夫で、美しい。この町の観光と産業の両方を支えていた存在です。ガシャン、ガシャンと響く力織機(りきしょっき)の音。黙々と手を動かす大人たちの背中。それが、私のこども時代の日常でした。しかし時代が移ろい、人々の生活スタイルの変化に伴って真田紐の需要は次第に減っていきます。暮らしの中で紐が使われる場面も少なくなり、職人さんは高齢化し、担い手もいない。ゆっくりしか織れない力織機は大量生産には不向きで、次々と手放されていきました。それは「坂本織物」でも同じでした。
「このまま真田紐を絶やすわけにはいかない」。そう奮起し、「坂本織物」としては新規事業となる真田紐の製造に踏み出す決意をしました。それが、2010〜11年のこと。会社の代表が父から夫に代わり、私が専務取締役に就いたタイミングです。地域に根付いてきた伝統産業を守り継ぎたい。私なりの表現を生み出したい。その二つの想いが、私を前へと動かしました。
価値は、表現から立ち上がる。
学生時代の実体験が、新商品のアイデアに。
新事業の一歩目にして最大の課題は「力織機が残っていない」ことでした。多くの製造業者が高速織機へ移行し、古い力織機はほとんど姿を消していたのです。取引先の糸商さんに相談し、たどり着いた先は私が“師匠”と慕う職人さんでした。想いを告げたところ「一台だけ譲ってあげるから、それでやってみなさい。できなかったら諦めなさい」と言われました。
その方が辞めてしまえば、児島の真田紐は本当に途絶えてしまう。「やる」以外の選択肢はありませんでした。織った経験はなくとも、不思議と「機械さえあれば、できる」と思えたんです。こどもの頃から力織機が身近にあり、動きや音が体に染みついていたからでしょう。とはいえ現実は甘くなく、言われた通りにやっても真田紐の特徴である耳のふくらみや柄が出ない。試行錯誤を重ね、私の手で真田紐が形になるまで、半年はかかりました。
もう一つの大きな課題が、価格と販売方法。従来の真田紐は、職人さんが兼業で織っていた背景もあり、手間や時間のコストに見合わない価格で流通していました。会社事業として続けるには、見直しが不可欠だったのです。そのとき思い出したのが、学生時代に京都で出合ったお漬物文化でした。商品としての見せ方や提供方法を工夫するだけで、それまで何気なく食べていたお漬物が、特別な食体験へ変わる。わざわざバスに乗って、お漬物のランチを食べに行くのを楽しみにしていたあの頃の私を思い出しました。
価値は、表現によって立ち上がる。そんな実体験から、鮮やかな色味や多彩な柄を取り入れて、それまでの“渋い真田紐”のイメージに変化をもたせたり。地域のデザイン会社と協働して、携帯ストラップを開発したり。定番アイテムの靴紐も、真田紐をアレンジして生み出した人気商品です。より多くの方へ真田紐を知っていただけたらと、イベントの出展やホテルでの販売など実店舗の外へも販路を展開。それを転機に、「おかやまマラソン」のメダルの紐や、2023年に開催された「G7倉敷労働雇用大臣会合」での贈呈品としての発注、さらにはフランス・パリにあるセレクトショップでの取り扱いなど、想像をこえる活動の広がりをみせていきました。
伝統工芸の再興に、
地域の人も動き始める。
活動の反響として、地域も動き始めたと感じる出来事がありました。「実はうちにも力織機があったんだ」と声をかけてくださる方が現れたり、ふたたび織ってみようとする人が出てきたり。さらに、かつて児島で「真田紐」の流通を担っていた方から、「うちに残っている真田紐も活用してくれ」と託していただいたこともありました。きっと、手元に残った商品をどうにかしたいと思い悩んでいたのでしょう。「後取りができた」と喜んでもらえたこと、師匠からも「担い手ができた」と言っていただけたことは、心に残る出来事です。それまで真田紐の製造や流通を支えてこられた方々の想いを絶やすことなく、次に結びつけることができ、活動を続けてきてよかったと感じました。それと同時に、「真田紐の魅力をより多くの人へ届けていきたい」と決意を新たにする瞬間でした。
積み重ねた時間が、
次の挑戦を紡いでいく。
真田紐を織り始めて15年。当時を知る人や応援してくださる方からは、「やっとスタートラインに立ったね」という声をいただきます。私も、同じ想い。目標に近づいてみて、初めて「ここからが本番だ」と分かりました。めざすのは、手に取った人の心が動く「真田紐」。その表現の源流には、同志社女子大学で過ごした時間があります。「リベラル・アーツ」の精神が根付く学びの環境。興味に向かって深く掘り下げる探究心。そして、京都という場所で出合った「凄みのある美しさ」。「きれい」という言葉では足りない、圧倒されるような感覚。それを知っているから、今の自分は「このくらいの表現をしたい」と思い描くことができる。だから私の挑戦は、まったくのゼロからではありません。過去に見てきたもの、好きだったもの、積み重ねてきた経験の延長線上にあります。「挑戦」とは、手当たり次第に新しいチャレンジを重ねることではなく、自分の中にある可能性を選び取ること。その巡り合いのタイミングは、人それぞれです。自分を見つめ直すところから、挑戦は動き出すのだと思います。
ターニングポイント
「好き」が、背中を押した。
真田紐が、この地域から消えかけていると知ったとき。こどもの頃に見ていた力織機の記憶、歴史的背景、この地域に根付く文化・風土への愛着。それらが一筋につながり、「私が奮起するときだ」と思いました。その先に立ちはだかる困難や課題、できない理由を並べるよりも先に、「できる」と思えた。その直感にも似たモチベーションの正体は、「真田紐が好き」だという想い。この気持ちは15年以上経つ今も変わることなく、私だからできる表現、織ることのできる真田紐を模索し続けています。

My Rule
- 仕事のマイルール
- 「新しさ」を外で探すのではなく、自分の中に残っている感覚を、仕事として磨き直すことを大切にしています。見てきたもの、好きだったこと、体に残っている記憶。その延長線上にある仕事を選ぶこと。「いける・できる」と思えた直感は、たいてい正しい。それは、積み重ねてきた時間が下した判断だからです。
- くらしのマイルール
- 一つ迎え入れたら、二つ手放す。物が増えすぎないように、暮らしの密度を保つための私なりの作法です。最近は自家製の発酵食品も取り入れて、体の反応を見るようにしています。暮らしの調子は、そのまま仕事の精度に表れる気がしています。
わたしにとって、挑戦とは?









