
UNITED PRODUCTIONS
制作3部
チーフアシスタントディレクター
(現・メディア創造学科)
距離も時間も超えて、想いが届く。
テレビの世界に魅せられて。
在学中に映像制作の経験を多く積み、こどもの頃からの夢だったテレビ業界に進んだ卒業生をインタビュー。演者の方々やスタッフ同士の結束力を大切にしながら番組をつくり、全国の視聴者に笑いと感動を届けている日々について、お話を聞きました。
絶対に、テレビを仕事にする。
小学生のころに抱いた、大きな夢。
元々テレビっ子ではありましたが、こどもの頃の自分にとってテレビは単に、観て楽しむものでした。考え方を変えたのは、小学生時代に校外学習のために訪れたテレビ局見学での体験です。当日は急遽、生放送の収録現場に入らせてもらえることになり、スタジオで撮影の様子を見た私は、幼いながらに「今、目の前で起こっていることが、リアルタイムで全国に届いてるんだ」と衝撃を受けました。そこから「将来は番組づくりに携わりたい」という夢が明確になり、実践的に映像制作を学べる大学を探して同女に入学することを決めました。
「テレビ」や「映像」の見方が、
大きく変化した4年間。
「同志社女子大学に入ってよかった」1年次生で、アートやアニメーションについて学ぶ森公一先生の授業を受けて心からそう思いました。その頃から森先生のゼミに入ることを決め、映像づくりと作品のインプットに没頭。脚本、カメラワーク、演出に対して制作側が込めた意味を探したり、「こんな表現の仕方があったのか!」と悔しく感じたり。この頃から、視点が「いち視聴者」から「つくり手」に徐々にシフトしていったことを覚えています。ゼミ活動や映像コンペティションへの参加はハードではありましたが「つくり続けること」を推奨する森ゼミに入ったことで、映像制作者としての芯が深く、太く、自分の中に育っていきました。
森先生の指導で気づいた、
“セントラルクエスチョン”の大切さ。
48時間で1本の映画を完成させる「48hfp」をはじめ、コンペティション用のCMや自主制作映画など、在学中はたくさんの映像作品を仲間とつくりあげました。制作中、森先生から繰り返し投げかけられた言葉があります。それは「この作品を通じて、あなたは何を伝えたいのか?」という質問です。なんとなくおもしろい、ではなく、明確に言語化できる意志を映像作品に込めること。ゼミではそれが映像づくりの絶対条件とされていました。もちろん時には「好きにさせてよ!」と思うことも。でも社会に投げかけるメッセージ=セントラルクエスチョンがない映像は、結局、観た人の心の深くに届きません。番組のつくり手になってからも、この教えの大切さを毎日のように痛感しています。
番組を成立させるだけでなく、
価値を高めることにも貢献したい。
私が所属しているのは、テレビ局から依頼を受け、番組制作を請け負う会社。現在はテレビ朝日「かまいガチ」の、チーフアシスタントディレクター(CAD)を任されています。CADは、ADの取りまとめ役であり、番組の内容や方向性を決めるディレクター、プロデューサーとスタッフをつなぐ橋渡し役。AD時代は与えられた仕事をしっかりこなし、収録を成立させることで精一杯でしたが、CADになってからはより俯瞰して番組を眺められるように。ディレクターやプロデューサーから「鼻野さんはどう思う?」と尋ねられた時に、よりおもしろく、価値の高いアイデアを提供し、番組づくりに貢献する。そんな存在をめざしているところです。
ここにしかない感動があるから、
テレビという仕事は、おもしろい。
大変さを超えるおもしろさがある。それがこの業界の魅力です。芸人さん4名が一から楽器を練習し、武道館ライブをめざす「かまいガチ」の企画に携わったときのこと。仕事の合間や帰宅後、休日も必死で練習する芸人さんに密着してカメラを回しつづける過程は、体力的に本当に大変でしたが、ライブ当日、舞台袖から満員のお客さんの笑顔と、演奏を成功させた芸人さんの笑顔を見ることができ、何物にも代え難い達成感を得ることができました。OA後、全国各地の友人から「名前がエンドロールにあったよ!」という連絡も届き、「自分の想像を超え、こんなにも広く影響を与えられる仕事は他にない」と再確認。ここにしかない感動が、私を突き動かし続けるのだと思います。