dwcla TALK ようこそ新しい知の世界へ

教員が語る同志社女子大学の学び

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「聖書」
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「メディア」
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「社会」

聖書は、キリスト教の正典であると同時に
価値観や立場の違いを越えて互いに理解し、
対話のできる場所を提供してきた
メディアでもあります。

メディア創造学科

中村 信博特任教授

聖書世界の探求が気づかせてくれた対話的世界の可能性。

私が長く学んできた「聖書学」は、旧・新約聖書について、成立過程や背景、宗教思想などを文献学的に解読する学問です。これまでに聖書を原典に遡って解説する著作なども執筆してきました。

約3000年前から1000年以上の時間をかけて成立した聖書は、キリスト教・ユダヤ教の正典であるだけでなく、その多大な影響下に成立したイスラーム社会も含めて、長く受け継がれてきた人類共通の精神的かつ知的な遺産でもあります。ですから聖書世界の探求は、様々な立場の人々が共通の問題を話し合い、新しい方向性(ビジョン)や新しい関係性(ネットワーク)を生み出す可能性にも通じるのです。

15世紀半ばにドイツの金属加工職人ヨハネス・グーテンベルクは、自身が開発した活版印刷技術によって、それまで貴重な写本でしかなかった聖書の大量印刷に成功しました。名高い「グーテンベルク聖書」ですが、活版印刷は火薬、羅針盤と並びルネサンス3大発明のひとつです。同質の情報を大量発信する可能性を秘めたこの技術は、近代メディアの起点でもありました。

当時、この技術によって190部近い聖書が印刷されました。本学図書館にはグーテンベルク聖書の精巧なレプリカが所蔵されています。 豪華な装丁をまとい、上・下巻で十数kgもあり、とても大きくて重い聖書です。それまでの写本聖書は、この形状と重量も一因となって読まれることよりも所有することに価値を有するものでした。

印刷本が普及し始めた16世紀には、ルターの宗教改革が起きました。この改革を支えた精神のひとつが「聖書のみ」という考えでした。そのためには、聖書は自国語で読めるものでなければならず、そのための教育も必要でした。加えて、聖書自体のサイズも問題になります。その後、モバイルサイズに印刷する技術も開発されました。ちょうどiPadのサイズです。聖書形態の変遷に注目することで、メディア文化の歴史を探求することも興味深い研究テーマです。聖書が歴史のなかでどのように読まれてきたのかを知る手がかりになるからです。

聖書のメディア的機能に注目すると、どんなことがわかるでしょうか。聖書と現実の社会には多くの共通点を見つけることができます。聖書のなかの物語や思想には、「弱さ」や「悲しみ」あるいは「困難」を大切にする考え方があります。時々、学生の皆さんも想像を絶する「悲しみ」や「困難」を抱えておられることに驚くことがあります。

イエス・キリストの磔刑死は、人間がイエスを殺害した場面であり、人間が神を否定したことを意味しました。一言ではとても表現しきれませんが、聖書はイエスが十字架で負った深い傷跡を紐帯として成立するコミュニティの可能性を示唆しています。私たちも他者の痛みがわからないと相互に理解し、信頼することができません。

聖書に内在する多義的な視点とそれへのアプローチは、対立の多い現代社会において、異なる価値体系を持つ人びとが平和的に共存できる社会実現のヒントになります。大切なことは、真摯な対話によって、それぞれの世界観や立場の相違を明らかにし、互いを理解しようと努力することではないでしょうか。国際社会のみならず、現代の日本社会において求められているのは、安易な仲間意識ではありません。「他者性」を尊重できる倫理的感性が必要なのです。

同志社大学良心学研究センターで続けている「良心学」の研究も、私のこうした関心の延長線上にあるものです。同志社創立者の新島襄が「良心」をどのように考えたかはもちろんですが、様々な学問の最先端を探求する他分野の研究者とともに、現代社会における「良心の役割」について考察を深め、シンポジウム、講演会、また著作物などによって、その成果を公表してきました。

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ゼミでは仲間と共有できる自由なテーマで
メディア文化史について探求しています。

私のゼミでは、「メディア文化史」を研究テーマにしています。例えば、一口にキリスト教と言っても長い歴史と、異なる地域においてその理解は一様ではありません。地域と時代による解釈や影響の変遷は、絵画や音楽また文学など多様な表象のなかにたどることができます。

そうした表象から人びとや文化がどのような情報に触発されてきたかを読み解きながら、メディア文化史の手法を使って、キリスト教や宗教に限定せずに、多様なテーマを探求しています。

研究や論文作成を目標とするゼミですが、なかには作品制作を志すゼミ生もいます。メディアは、社会や集団をまとめあげる機能をもっていますが、人とメディアとはどのように付き合ってきたのか、そして、メディアによってまとめあげられた社会を意識してみることで、人間の何が分かるのかを研究しています。「人間とは何か、根源に遡って考えてみたかった」と、このゼミを希望した理由を語ってくれる学生もいます。

主体的な学びの姿勢を身につけるために、ゼミ生が自由に議論を交わし、自ら課題を発見できる環境を大切にしています。実際、ゼミ生たちの柔軟な発想や知的好奇心が旺盛なことには驚きます。最初からディスカッションを好む人も多いですが、こうしたゼミでの学びを通して見違えるほど成長していきます。

ゼミで大切にして欲しいことは、「他人の頭を借りて考える」ことです。一人では解決できないことは、他者の考えを借りる。「こう考えることもできる」と助言してくれる仲間がいて、新たな視点から思索を深めることができます。そして、次は自分が新しい視点を提供するのです。そこに学ぶ者同士の深い信頼関係が築かれていきます。

テーマはまず、自分で決めなければなりません。どんなテーマも課題と方法とを精密にし、修正しつづけることで探求は可能です。ただし、ゼミでの議論に供するためには、ゼミの仲間と関心や方法を「共有できる」ものでなければなりません。現代のメディア文化を象徴するようなアイドルをテーマとすることもできます。ただ重要なのは、なぜ人はアイドルに興味を持つのか、アイドルだけではなくファン層の動向や経済活動の視点からはどう見えるのかといった多角的な視点を持つことです。ゼミ生には、アイドルについての報告ではなく、そこから見える現代社会と人間を分析してくださいと助言しています。

ゼミ生たちは、他にも美術館や動物園、水族館、映画、アニメ、舞台芸術、コミュニケーション史など、様々な分野に関心を持ち研究を続けています。ゼミでは「10人のゼミ生がいたら、あなたは他の9テーマの研究にも責任をもってください」と伝えています。事実、卒業するときには、ゼミ生全員の卒業論文について、本人と同じように説明できるようになっています。最初は別個のテーマだとおもっていた各人の関心に共通点を発見し、相互支援を大切にするコミュニティのなかで個々も育っているのかもしれません。

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他者と自己を尊重する社会について考え続ける大学。

キリスト教主義を建学の精神とする同志社女子大学では、毎日チャペル・アワーが行われています。だれからも強制されず、だれでも参加できる礼拝の時間は、本学の大きな魅力だと思っています。

授業の準備などで、自分が礼拝に参加することができなくても、毎朝の決まった時間にキャンパスで聖書を読み、祈る人たちがいることは、私たちの大学が社会の攻撃性や競争主義にのみ込まれてしまうことなく、精神性を大切にしてきた大学であることの象徴でもあるでしょう。

大学時代に身につけたいものはスキルやテクノロジーだけではありません。私たちの大学のサイズは、異なる分野を学ぶ者たちがそれぞれの専門領域に閉じこもってしまうことなく、キャンパスで出会い、語り合い、切磋琢磨するには適切なものだと思います。そのための工夫も沢山あります。

そして、本学が女子大学であることもとても大切なことだと思っています。歴史をたどると、同志社最初の学校となった同志社英学校開設の翌年には、本学のルーツとなる女子塾が始まっています。明治初期の男女間差別が激しかったころ、女性の学ぶ場を提供するためにつくられました。いまなおジェンダーギャップ指数の高い日本において、この大学は、さまざまな差別や格差をどうやって減らし、どうやって異なる他者を尊重できる社会にと改良できるかを考え続けて来ました。幸い、私は本学のこの伝統に共感し、ともに考えようとする多くの学生に出会ってきました。

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受験生のみなさんへ

厭世的な気分で10代を過ごした私は、クリスチャンホームに育ったわけではありませんが、ずっと聖書のことが気になっていました。理解したいというよりも、なぜこの一冊の書物が人を惹きつけるのかが不思議だったのです。
そのとき私は、何も知らない私が聖書を疑うのではなく、この書物が生みだした思想、文学、精神、文化、歴史を信頼してみることから始めようと思ったのです。
疑っている自分を疑ってみた、と言っても良いかもしれません。ときどき、肥大化した自意識を抱え込んで悩んでいる方に出会うことがあります。けれど、この私の外側には私が知らない巨大な世界が拡がっていることに気づくことで、新しい道も開けてくるかもしれません。
その為には、できるだけ遠くを見つめて欲しいと思います。近くだけを見ていると、誤差のような小さな違いが大きく見えてしまい、自分が進みたい道も見失ってしまうことがあります。日常の生活でも、ときには視線を遠くの景色に転じてみるような気分転換が必要です。
そうすることで、多くの可能性にも気づくでしょう。本学は、そういう遠い世界に視線を転じることのできる大学だと確信しています。

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中村 信博特任教授

学芸学部 メディア創造学科 [ 研究分野 ] メディア文化史における聖書世界

研究者データベース

卒業論文一覧

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卒業論文テーマ例

  • 赤レンジャーの役割〜日本文化から読み解くスーパー戦隊〜
  • 映画『オリンピア』の評価とその二極化〜レニ・リーフェンシュタールは何故批判されるのか〜
  • 『鋼の錬金術師』から見る現実世界〜家族と身体の概念を通して〜
  • 「少女」の再発見—文通文化史の分析から〜
  • 『はだしのゲン』から見る平和教育の変化と展望
  • メディアがつくり出す男女平等社会—お酒のポスター広告を通して—
  • 少女はどこへ行くのか—サウジアラビア映画『少女は自転車にのって」から考える—
  • カレーが日本を変えた〜カレー普及の背景から読み解く暮らしと社会〜
  • 社会を支配する「いいね!」
  • 東京ディズニーリゾートのブランド戦略—メディアとの関わり—
  • 「アイドルファン」という生き方—質的研究から考える—
  • ゲームの物語と構造から見るメッセージ
  • 現代思想の鏡像としての水族館
  • 「匂い」で読み解く「匂わせ」
  • 「被害者」へと反転する「加害者」家族
  • キャラクター信仰の歴史と現代社会におけるキャラクターの存在意義
  • 妖怪の歴史・文化を通して考える現代妖怪〜時代とともに変化する妖怪たち〜
  • 「風立ちぬ」における喫煙表現規制〜自主規制と表現の文化〜
  • 野田秀樹ワークショップ論—遊びの構造と役者の関係性—
  • ふろく(学習雑誌『科学』)の変遷から考える学びのかたち