dwcla TALK ようこそ新しい知の世界へ

教員が語る同志社女子大学の学び

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「自己決定」
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「他者」

生活に根ざした
「いのちの問題」を読み解き
語り直し、新しい世界観を
探っています。

人間生活学科

小﨑 眞教授

アメリカ留学をきっかけに、「いのちの問題」に向き合う。

キリスト教の背景のもと育った私は同志社大学の神学部で、日本のキリスト教会の歴史に関心を持ち、戦時中にキリスト教がどのように巻き込まれ、国家に迎合していったかを研究していました。卒業後は、同志社女子中学校・高等学校で教鞭をとるなか、アメリカの大学院に留学する機会を得ました。

サンフランシスコにあるその大学院には、教会や教育の現場で働く人たちが再教育のために教派や国籍を超えて集まっており、私は韓国やトルコ、インドネシア、ナイジェリア、ジンバブエからやってきた個性あふれるメンバーに囲まれて、週一度のグループワークに加え、毎週1冊以上のブックレビューの課題を始め、リーディングとライティングに追われる毎日を送っていました。
当時、湾岸戦争が始まったときで、全米で反戦運動が起こり、サンフランシスコではLGBTの権利運動が活発になっていました。グループディスカッションでは、聖書に書かれた性に対する狭義の倫理観とは何かといったことも徹底的に議論しました。

文化の違いや活動の限界を感じながら現場で働く仲間との議論や研究活動を通して、私は「学問の面白さ」と「聖書の面白さ」を実感しました。ものごとをどう解き明かし、語り直して、そこから新しい世界観を提供できるか、というプロセスは、聖書を学ぶことであり、現代にも問われていることです。

留学を経て中学・高校の教育現場に戻った私は、今まで関心を抱いていた「いのちの問題」により一層強い興味関心を抱くようになり、中絶や人工授精、脳死、臓器移植といったテーマで、社会問題とキリスト教の関わりを生徒たちと一緒に考える取り組みを始めました。こうした取り組みも、アメリカでの学びや研究活動があったからです。

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異質性が排除される現代社会で、私たちは様々なことを問われています。

いま、私が研究テーマに掲げるのは「いのちの倫理と聖書の思想」です。「いのちの問題」に対して、聖書に書かれている考え方とは何か、近現代社会の考えとの違いを探究することから始め、現在は自己決定と他者論を研究しています。

では、「他者」とは何でしょう。他者が病気になったことをどう捉えるか、自然災害という他者の到来をどう捉えるか、といった哲学的な意味もあります。それらも整理しながら、倫理学的な文脈で人との関わりにおける他者と自己を考えています。

最大の関心事は、異なるものへの理解です。同調圧力など協調が強く求められる社会にこそ異なる考えが大切であり、異質性の重要性をどう受けとめるかが問われています。
それはいのちの問題にも関わっています。例えば、自分のパートナーである女性が賢いこどもを産みたいのでIQの高い人から精子を購入したいと主張したとき、女性の権利を保障する立場に立つと、その生き方を受け入れる義務を負うことになります。このことは、「私はこうしたい」と主張する権利は、他者に義務を負わせることでもあり、自己決定権だけで進めると人間関係は分断してしまうことが分かります。コロナ禍において自分の権限を主張し、異質性を排除する風潮があるなか、私たちは様々なことを問われているのです。

自己決定と他者決定、そして生きる意味を考えていくことは、死の問題につながります。死の問題を考えるときに生活の質という言葉が用いられますが、医学・医療が進歩するなか、その質とは何をもって判断するのでしょう。
それを考える上で、最近は当事者研究が進んでいます。普遍性や客観性だけでなく、当事者はどうだろう、そこに真理があるのではないか、当事者の主張をどう解釈するかの探究です。
社会科学の分野でも従来はデータによる量的研究が中心でしたが、現在はインタビューをはじめとした質的研究が進んでいます。しかし、頻出する言葉を統計的に見る方法では、結局量的研究に引っ張られてしまうなど、質的研究には課題が山積しています。

質的研究を深めるためには、やはり解釈学が必要だと私は考えています。質への解釈のために地道に読み解く作業を重ねていく。それは聖書を解釈することにも共通すると思います。

ある臨床の現場を想像してください。病床の患者さんが何度も「お茶」という言葉を使って語っています。単にのどが渇いているのではなく、その人が家族と飲んだお茶の時間や、お茶にまつわる大切な思い出があったからではないのか、と考えてみる。それが、患者さんの人生の物語を読み解くことにつながるのではないかと思います。

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議論を重ね、自分の問題意識に触れ、いのちの問題を探っていきます。

「生命倫理学研究室」である私のゼミは「いのち」という命題のもと、自分の関心あるテーマを探り、自分の問いにじっくりと向き合います。古今東西の思想家が問いに対してどう考えたかを探り、その思想を照らし合わせることによって、答えには届かなくても自分なりの方向性を探っていきます。

その第一段階として、3年次ではディベートを行います。賛成と反対の役割を事前に決めたうえ、学生が高い関心を持つテーマのもと、各々が基礎知識を得てからディベートに臨みます。
例えば、受精卵の段階で遺伝子操作などを行う「デザイナーベビー」について、あるいは最低賃金統一の是非について、労働をお金に換算する社会の価値観など、議論は根源的なテーマへも広がっていきます。
議論の場では「反対意見が大切だ」と学生に伝えています。自分と異なる意見は、新たな自分自身の発見につながり、社会に出る前の貴重な経験となります。ディベートを通して鍛えられたゼミ生は、互いを尊重しながら意見を言い合える、よい関係を構築していきます。

他にも、「自分史」を作ります。私たちの問題意識は、個々の生育史や教育史に関わっており、いのちの問題を考える際は、自分の歩みを振り返る必要があります。結果的には就職活動に向けた自己分析にもつながってきます。
ただ、就職活動に向けて「自分を知る」こととは少し異なり、ゼミで考える「自分史」は、ネガティブな思いに着目します。そこに問題意識があるからです。すると、中高時代の友人関係や親子関係などさまざまなことが浮かび上がり、問題意識に触れ、それが卒業論文のテーマ設定につながっていきます。

同時に「ブックレビュー」も行います。社会学や哲学の書籍や研究論文を通し、自身の問題意識と対話しつつ、ディスカッションをします。その後は、自分で選んだ本について、各人が書評をすることで文献研究のノウハウが身につき、卒業論文への助走となります。
卒業論文のテーマは、学生の数だけあり、実に様々です。過去の私を見る私といった哲学的なテーマや、パラサイト、インフォームドコンセント、里親制度といった社会課題、家族関係や銭湯に注目するゼミ生もいます。

仲間と議論を重ねて自分の問いに向き合い、生きるタフさを身につけたゼミ生は、卒業後も少々のことではへこたれません。いのちに対して誠実で、人生をある程度の幅をもって考えられる人がたくさんいます。つくづく私は、ゼミ生に育ててもらっていると思います。

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女性活躍社会を実現する多様なリーダーシップが育っています。

これまでの日本社会は、男女雇用機会均等法をはじめ、男性が作ったフレームワークのなかで女性の社会進出をどう再配置するかといった議論が行われてきました。女性のリーダーシップ養成や活躍推進も、男性のロールモデルが前提として考えられています。果たして本当に女性たちのモデルになるのでしょうか。

そうした矛盾を感じながら同志社女子大学をみたときに、本学には多様なリーダーシップを発揮し、自分の個性を生かして活躍をしている学生が多数いることを実感します。
単に旗を振るだけがリーダーの資質ではありません。周囲の人たちと協働して支えられる人、援助を引き出せる人もリーダーです。男性はヒエラルキーを意識し、女性はネットワークを築くと言われますが、ネットワークを築く力を養成する環境が本学にあります。なぜなら、本学には女子大学ならではの良さと、すぐ近くに様々な場面で交流している同志社という共学もありながらの女子大の良さ、両方があるからではないかと考えています。

会社の管理職や経営者という狭義のリーダーではなく、社内にこの人がいるからチームががんばれる、そんなリーダー性をもった女性たちがこれからの社会を支えてくれるのではないでしょうか。本学は多彩なリーダーシップを発揮できる女性たちを育んでいます。

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受験生のみなさんへ

本学の人間生活学科は、日々のくらしのなかで、家族や地域、社会、そしていのちについてじっくりと考えていく学科です。本学に入学し、人間生活学科で身近な生活に視点を置いて学ぶうちに、自信を持って生きていく道がきっと見つかると思います。

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小﨑 眞教授

生活科学部 人間生活学科 [ 研究テーマ ] いのちの倫理と聖書の思想

研究者データベース

卒業論文一覧

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卒業論文テーマ例

  • パラサイト社会における自立と他者への関係性―自立概念への提言―
  • 悪者にならないために―他者との距離から見えるもの―
  • 無宗教社会における自己絶対化の危険性―赦しへの提言―
  • 「つながり」としての貨幣―ニートを生みださない教育をめざして―
  • 関わりの中で役割を生きる―「名前」にふちどられる自己―
  • 「やさしさ社会」における承認の必要性―他者との関わりからみる自分―
  • 異質な世界との関わり方―排除型社会が生み出すスクールカーストを通して―
  • 貨幣がもたらす対人関係における合理性と多様化―高齢者の恋愛と性を巡って―
  • 「イタミ」は共有可能か―ウィトゲンシュタインと共に―
  • 苦痛は悪か-近代化社会の明暗を見つめて-
  • 贈与関係に潜在する対等―社会における互酬の重要性―
  • ヨコつながりが創出するケア社会―主婦ネットワークの可能性―
  • 自己決定における当事者意識の確立―同調傾向からの脱却を通して―
  • キャラクター社会を生きる子どもたち―公共性の観点から教室空間の意義を問い直す―
  • 功利主義観点から考察する信頼の合理性について
  • インフォームド・コンセントの責任の所在-乱用される自己決定権-
  • 教育協働態における自己と他者の相互受容―家庭科教育の可能性をみつめて―
  • 自己対話における人形の役割―対人社会を生きるために―
  • 新自由主義社会における銭湯の存在意義―競争・格差を超えて身も心も裸になる―
  • 物語が織り成す世界―ナラティブによるドミナントストーリーからの解放―