「めぐりあひ」余滴

2014/12/11

吉海 直人(日本語日本文学科 教授)

 

かつて新島襄の資料を探しているうちに、偶然『不定芽』(昭和9年)という本にめぐりあいました。これは動物学者大島正満のエッセイ集ですが、その最初に「新島の叔父さん」というタイトルの章が掲載されています。そこには明治20年夏の北海道札幌におけるみつ坊と新島夫妻とのめぐりあいから、襄没後の京都における八重と正満の再会、そしてアメリカのカーネギー博物館におけるホランド博士(襄のルームメイト)と正満のめぐりあいが書かれています。当初は襄の資料として入手したのですが、八重の資料としてもなかなか貴重なものといえます。

この大島のエッセイは、太平洋戦争直後の暫定教科書『初等科国語八』(昭和21年)に、「めぐりあひ」というタイトルで収録されています(注)。ようやくそこまで調べがついたので、このコラムにも「みつ坊のこと」と題して掲載してもらいました。

ところがまだ解明できていないことがあるような気がして、ずっと心にわだかまりのようなものが残っていました。それはこんな感動的な話が、暫定教科書とはいえ、たった一回だけしか教科書に採用されず、本当に消えてしまったのだろうか、という疑問でした。年配の方に話をうかがうと、一年では消えてはおらず、その後の教科書にも出ていたという証言があったからです。

そこで門外漢ながら、戦後の教科書をいろいろ調べてみたのですが、なかなか答えが出ませんでした。そうこうするうちに大河ドラマ「八重の桜」の放映も終了し、八重に対する世間の関心や興味は急速に薄れていきました。私自身、八重の研究に一区切りつけるつもりでしたから、もはや解決は不可能とあきらめかけていました。

ところがそこに新しい情報が飛び込んできたのです。たまたまインターネットで、新島八重と国語教科書をキーワードに検索をかけてみたところ、玉川大学教育図書館の記事がヒットしました。それは玉川大学教育博物館所蔵の資料を紹介するものでしたが、そこに新島八重のことが書かれている教科書として、暫定教科書ではなく「第6期国定国語教科書『国語第六学年下』「情熱のことば」」が図版付きであげられていたのです。そこで早速現物を入手して、内容を確認しました。すると確かに「めぐりあひ」だったのです。

まさか「めぐりあひ」というタイトルが、「情熱のことば」に変更されているとは、夢にも思いませんでした。これはホランド博士が「愛はにくしみよりも強い」と叫んだことに依拠しての変更のようです。この時期ですから、アメリカに気を遣っていたのでしょう。タイトルのみならず、内容もいささか改訂されています。襄の墓が若王子ではなくお寺にあるとされているのもその一つです(若王子を若王寺と誤解したのかもしれません)。 いずれにしてもようやく疑問が氷解しました。

(注)教科書に載った新島襄としては、他にも『高等国語二下』(昭和22年~)に村上元三氏の放送劇台本「自由を護った人」が掲載されています。これも入手しました。

 

※所属・役職は掲載時のものです。