真実ノ愛心ヲ以テ

2014/09/05

村上元庸(医療薬学科 教授)

看護師は、やさしい人間性、共感力など、人間として大事なものが強く求められます。これらを持ち合わせていなければ、信頼される看護師とは言い難いでしょう。看護師はこれを前提として、高度な専門知識を身につけ、人々の健康をサポートするプロフェッションです。

明治時代、同志社に看病婦学校と病院が設けられました。新島襄の構想にアメリカ人宣教医J.C.ベリーが協力した結果です。開校、開院の前年の1886年(明治19年)、この京都看病婦学校の設立について、大日本私立衛生会京都支会の場でベリーと新島は演説を行いました。新島はこの演説において、看護の重要性と看病婦学校の設立の目的を述べています(『新島襄全集Ⅰ』)。そこでの新島の言葉は印象的です。目的のひとつは病人の痛み苦しみをとる。二つ目は熟練の看病人を養成する、専門の看護技術を身につける。三つ目は病人の心を慰める、心を癒す。このようなことを述べました。さらに、技術だけでなく、精神的な熟練が必要である、例えば、失望しやすい人、病人の心を乱す人、些細なことに泣き騒ぎあわてる人は病人の側にはふさわしくないとも述べています。失望とは行為が金銭や名誉に置き換えられない場合に面したときに失望する人のことを言っています。そして「病人ノ心ヲ思ヒヤリ真実ノ愛心ヲ以テ病人ノ為ニスル人ガ入用デアル」と語っています。そのほかにも大切なことをたくさん述べています。文語体の記録からの引用で十分お伝えできないのですが、演説の内容はこのようなものでした。

医療とはいつの時代も求められるものは変わらないためかもしれませんが、それにしてもこれらは現代の医療に求められていることです。このような精神や行いが100年以上も前に京都看病婦学校において実行されていたのです。資料からみて、当時の京都で有数の医療機関の一つと考えられている医療がなされていたのは明らかです。記録に残っているベリー(同志社病院の初代院長に就任)や新島の言葉、実践からは、医療ではその方法や知識や技術は日々進化しますが、心、良心、やさしさの重要性はいつの時代も変わらないことを改めて教えられます。

昨年「今」という言葉が、話題を集めました。看護の仕事はもちろん多岐にわたりますが、「今」にウエイトの高い仕事だと考えることができます。患者さんは、「今」の苦痛に目と目の合う距離で心をむけて看護で応えてくれる人、「今」の苦痛に応えてくれる人を求めています。「今」はやがて過去になり心に思い出として残ります。多くの苦しむ患者さんにとって「今」は大事なのです。特に、認知症の患者さんは今現在の心と過去の思い出を多く心に残されています。どの人も(身内の人も含めて)看病や病気のとき、毅然としていた看護師さん、心優しかった看護師さん、その時と心に残った看護師さんのことを思い出すことがあるのではないでしょうか。

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※所属・役職は掲載時のものです。