八重の姪も看護婦?

2014/04/21

吉海 直人(日本語日本文学科 教授)

 

新刊『新島八重関連書簡集』(社史資料センター)が届いたので、何気なくページをめくっていたところ、8番の土倉庄三郎宛書簡に目が留まりました。二伸の中に、

亡夫存命中私共の後々の為めとて金円少々御預り願置候処先日亡夫葬送の費用一時同志社より立換相願候分此度返却の場合に相成候に付方法も相立不申候早々右御預り願置候金円を以て返済いたし候事に決し候に付甚御手数の段御気の毒に御座候へども来る九月開校の節までに御戻し被下度奉願上候

とあったからです。「金円少々御預り願置候」とは、襄が土倉庄三郎宛書簡(明治21年5月21日)の中で、八重が老後に困らないようにと金三百円をマッチ棒になる木の植樹へ投資し、その運用を依頼した(『新島襄全集3』569頁)ことではないでしょうか。それを八重は襄の葬儀費用の借金返済に充てようというのですから、襄もあの世で苦笑いしているかもしれません。

ついでに書簡の方に目を移すと、これまた面白い記述がありました。

私姪きよ事家計不如意にして毎年齢を重ねる計り。他に相応の職業とてもなければ向後一身を処するの道を得ん為め看病婦となりたき志望を懐き居候処、幸にもデントン氏の御補助なし下さる事に相成り、昨年より入校し今年六月にて其課程の一半を終り、来年六月にて卒業に至るを楽しみにいたし居候処、図らずも先月同氏内計上の都合にて本期限りにて学費の給与をなされ難き様になりしとの御通知を受け、同人の失望言はん方なく日々前途の不幸を嘆じ居る事に有之候。元来同人の身上に付ては肉親の関係も浅からざる事に有之候へば、此際私方に於て見続き候は当然の義務に候へども、左様いたし度き事は万々に候へども如何にせん亡夫逝去以来余傷未だに癒えず、内外不如意の事のみ多く将来活計の道も未だ確と定まらざる場合に候へば、私方より続て学資を供給いたし候はんにもいと便なきことに候へば、

この書簡を読む限り、襄が亡くなった後の八重の生活は案外大変だったことが窺えます(まだ同志社からの援助もありません)。ここでは「私姪きよ」に注目してください。八重の姪とは一体誰のことでしょうか。ここで本井康博氏の『八重さん、お乗りになりますか』(思文閣出版)が参考になりました。本井氏は八重の姉窪田うらについて調査されていますが、その中にうらの子として窪田清の名前があげられていたからです。その上で本井氏は「窪田清といった一族は、まだ未解決です」(230頁)と述べられていますが、ひょっとするとこの書簡は清の新出資料ということになるのかもしれません。

次に「看病婦」とあるのが目につきました。看護婦になるためにデントンから金の補助を受けて看病婦学校へ入学したというのですから、これは京都看病婦学校のことかもしれないと思ったからです。そこで早速「京都看病婦学校卒業生名簿」を調べてみました。新島襄が亡くなった直後で、しかも「来年六月」に卒業というのですから、明治24年6月の第4回卒業生に目をつけてみました。

その年は8名の卒業生があったようですが、残念ながらその中に「窪田清」という名は見当たりませんでした。可能性としては、「奥澤キヨシ(京都)」と「大口(黛)清志(キチ)(群馬)」の2名があげられます。結婚して別姓になっているかもしれないからです。このうちの大口(黛)清志は、日清戦争の折に広島予備病院に従軍した看護師の一人として知られています。あるいは資金援助が受けられず、看護婦にはなれなかったのかもしれません。仮にもう一人の奥澤キヨシの方が該当するとすれば、八重は土倉庄三郎から30円の学資金を出してもらい、予定通りきよを卒業させたことになります。さて真相はどうなのでしょうか。

ところで何気なく卒業生名簿を見ていて、一年前の卒業生の名前に驚きました。明治23年6月の第3回卒業生は6名ですが、そこに「角田(窪田)イサ(福島)」とあったからです。「窪田」姓が気になったので、もう一度本井氏の本に当たってみたところ、なんと窪田うらの娘として窪田伊佐(きよの姉か)の名があげられているではありませんか(229頁)。この女性のことは、『新島襄全集3』所収の書簡に「又久保田おイサ様には」(466頁)と名前が出ているし、徳冨蘆花の『黒い眼と茶色の目』にも「飯島先生の夫人には姉さんに当る黒田のおくらさんの女でおきささん」(27頁)として登場しています。小説とはいえ案外役に立ちますね。その伊佐が結婚して角田姓を名乗っていたとしたら、それで合致するのではないでしょうか(福島出身も符号!)。そうなると先に姉の伊佐が看護婦となり、その後を追うように妹の清も看病婦学校へ入学したということで、話はすっきりします。

なんだか推理小説の謎解きのような話ですから、どこまで真実なのか保証の限りではありません。それにしてもこれまで京都看病婦学校と八重の関係は淡白だと思われていたのが、思わぬところで八重の姪とのつながりが見えてきました。

 

※所属・役職は掲載時のものです。