ブックタイトル同志社看護 第4巻2019年

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概要

同志社看護 第4巻2019年

臨床におけるナラティヴ実践のすすめMさんの問題は不安感と憂うつ感でした。勿論,過食と嘔吐を繰り返すのは苦しいのですが,それ以上に普段の不安感と憂うつのため,やりたいことが山ほどあるのに出来ないことが問題でした。一日のうちに気分が晴れるのはほんの数時間,それも無い日もあるのです。この短い時間にMさんは多くの事を詰め込みます。ケーキを焼いたり,絵を描いたり,詩を書いたり。大急ぎで。でないと,すぐに例の不安,憂うつが自分を覆ってしまいます。ときにはひどく落ち込みます。こんなときは起き上がることも出来ません。自分はなぜこんななのだろうと母の育て方を恨んだこともありました。父がしっかりしてないせいだと父を責めたこともありました。この病気には専門家が様々な事を言ってます。ひとつの解決法はありません。ぼくのまえに現れたときのMさんは疲れきっていました。「私はもう十年もいろんな先生に治療を受けましたが治りませんでした。だから,悪いけど先生にももうあまり期待出来ないんです。…ごめんなさい。もう疲れました。」Mさんは肩を落として言いました。アノレキシア・ネルボーザは薬物療法でも心理療法でも決定的な治療法はありません(薬物療法ではSSRIが効果的だとか心理療法では認知行動療法が有効だという意見もありますが反論もあります)。原因についても生物学的脆弱性,心理学的脆弱性,社会的影響など様々なモデルが入り乱れていて決定的なものはありません。そして治り難い病気だという点では一致しています。さてMさんですが,ぼくは彼女と話していてもう十年間も治らないということは「視点を変えるとその10年間,手強い病気をひとりで背負って頑張ってきたということになる」という物語として聴きました。「どうやって,そんなに手強い病気と闘ってきたのか」彼女に尋ねてみました。彼女はキョトンとしていました。「どうやってって?ん?そんな‥闘ってなんかきてないもん‥」「じゃあ,どうやってきたの?」とぼくは追い討ちをかけました。すると彼女は「そうねえ,わたしはただこの10年ただ流されてきただけだと思うの」「ふーん。じゃ川の流れのようなものに流されてきたという感じかな」「うん,そんな感じかな‥」「そうか,10年の流れは長いなあ。ところで川ってなんで流れるんだっけ?」「え?川が流れるわけ?そんなの簡単じゃない。川は山から海に流れているのよ。高いところから低いところへ」「あ,そうだよね」「ということは,あなたの流れもいつか海に辿り着くということかなあ?」「え?」「海にとどり着くと言うことは,どうなるわけ?」「うーん,もう流れないということだから」「治るってこと?」「わかんない‥‥」「‥‥」Mさんは黙ってましたがこころなしか微笑んだように見えました。病気を流れと言い出したのは彼女の方だったのですが川の流れから海にたどりつく物語はぼくの方で促進しました。ここに書くとスムーズに進んだようですが,ここに辿り着くまで,3ヶ月かかっています。そのたびに川の流れ物語を二人でこしらえていきました。高い山から出発した川は途中滝になったり奔流になったり,ときには穏やかな流れになったり,また急に早い流れになったりしながらついには海へとたどりつきます。海はゴールつまり治るということです。Mさんの病気も川の流れのようなもので,速いところもあれば乱流になっているところもあります。これはMさんの努力とは関係ないのです。ただ一つだけ確かなのは川は海に向かって流れているということです。辛い思いをしたら,その度にまたひとつ海に近づいたということになります。49