ブックタイトル同志社看護 第4巻2019年

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概要

同志社看護 第4巻2019年

なるということで医者にとっては素晴らしいことなのですが,当事者にとっては30%とか32%ではなくて,どうしたら生き残れるかが問題となります。その時大事なのは病気の原因が聞きたいわけです。なぜかというと原因が分かれば対処法も考えつくわけで,原因は分からないけども,診断は正確になったというのは患者さんからすると,それほど嬉しい事態ではないのです。つまりは,患者さんが求めてるものと,治療者が求めているものが微妙に,くい違ってるのです。もちろんエビデンスは大事です。エビデンスなしの医療はもはや医療ですらありません。患者さんの物語を大事にする医療が大事と言っても,例えば糖尿病なのに甘いもん食べたら治ると信じている患者さんに「どんどんケーキ食べなさいと」というわけにはいきません。ぼくが言いたいのは,患者さんの物語をきちんと聞き取って,そこを原点として治療のほうに持っていくことが大事なのではないでしょうか。ナラティヴ・ベイスト・メディスンを学ぶためにイギリスへ1990年代の後半にエビデンス・ベイスト・メディスンが流行語のようになっていたのですが,ぼくが講演の時よく「エビデンス・ベイスト・メディスンあるのだったらナラティヴ・ベイスト・メディスンがあってもいいのでは」と話すと聴衆から「なんですか?そのナラティヴとかいうのは」という質問があって,「ナラティヴというのは物語という意味なんです。ぼくの造語です」と答えると「え!ということは患者の物語みたいな不安定なものを信じるということですか?」と笑われたものです。といっても私の方も半分笑い話のネタのように使っていたのですが…ただ,半分は本気だったのです。ナラティヴ・セラピーのマイケル・ホワイトは次のように述べています。「人は解釈する動物だと言いたいのです。つまり私たちは人生を生きるとき,ストーリーと言う枠組みのなかで積極的に自分流の解釈を行います。そして自分の物語を作り上げていきます」(M・ホワイト1995)つまり普遍的に,人は「物語を生きる」生き物なのです。世界的ベストセラーになったイスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史でも著者はつぎのように主張しています。「ホモ・サピエンスだけが虚構,すなわち架空の事物について語れるようになった。客観的な現実の世界だけでなく,主観的な世界,それも大勢の人が共有する共同主観的な想像の世界にも暮らせるようになった」(サピエンス全史下巻P.268)1990年代後半はエビデンス・ベイストが大流行している中で,ナラティヴをベースにした医療というのは一種の危険思想だったのかもしれません。だからこそ私も笑い話でお茶を濁していたような形でした。当時はナラティブ・セラピーが出てきて心理畑の人たちにはナラティブという言葉は馴染みがあったのですが,医療でナラティブというのは,あり得ない,或いはあってはいけないと思われていたようです。ところが,2000年になって齋藤清二先生が『ナラティブ・ベイスド・メディスン』っていう本を出されてました。カタカナで背表紙にそう書かれた本を,本屋で偶然見つけて,驚いてのけぞりそうになりました。私が笑い話という衣に包んでしか出せなかったことを本気でやってる人がいるということで。驚愕したわけです。最初,斎藤先生がお書きになったと思って居たのですが,どうも翻訳をされたのが斎藤先生で,原著者をみるとトリーシャ・グリーンハル他とあります。イギリスはロンドンの医師たちが本気でナラティブ・ベイスト・メディスン考えてるということになります。これはちょっと行かねばいうことで半年間ロンドン大学キングズカレッジの籍を置かせて貰って勉強しに行きました。その頃は大学教員をやっていて,その大学からサバティカル(研究休暇)を半年くれるということでイギリス留学を決め込んだのですが,クリニックがネックでした。当時すでにクリニックを開業しておりました。ロンドンに半年行くとなると「これは閉院しなければ」と本気で考え始めました。今から考えると狂気の沙汰ですが,あの頃は大まじめでした。まあ,結局,大先輩の野田俊作先生とそのお弟子さん達に助けられて,奇跡的に半年間ロンドン留学させてもらうことが出来ました。さて,ぼくが学んできたナラティブ・ベイスト・メディスンは,そのままの形で日本で使えるかいうと,42