ブックタイトル同志社看護 第3巻
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同志社看護 第3巻
同志社初期における医療・看護教育「最も小さきものに心を注ぐ」このことを新島の心象に即して言い代えると,「ひとりは大切なり」,あるいは「最も小さきものに心を注ぐ」となります。ここが大事です。これが新島の生きる姿勢でもあるからです。彼は後半生では,健康と仕事(とくに出張)のために授業をすることを免除されましたが,ある時,こう言っております。私がもし元気になってもう一回,教壇に立つ日が来るならば,「クラスで最もできない生徒」に目を注ぎたいと。同様に,学生(ほとんどが学内の寄宿舎住まい)が病気で授業を欠席すると,校長の新島は朝の全校礼拝の後に寄宿舎を訪ね,欠席者を見舞ったといいます(『追悼集』二,二二〇頁)。重病人の場合は,自宅に引き取ることもありました。同志社大学新町キャンパスの渡り廊下に「諸君ヨ,人一人ハ大切ナリ,新島襄」という文言が大きく彫ってあります。一度,見てくださいね。新島はまさに「一視同仁」です。人を差別しません。性や職業,学歴,学力,能力などに差を認めません。新島は世話になった女中や下女(家政婦)を呼ぶのにすべて「さん」をつけています(『新島先生記念集』二二四頁,同志社校友会,一九六二年。『追悼集』二,二四五頁,ねんご二七三頁)。前にも紹介しましたように,大磯で亡くなるときも,看護婦(複数)に対して懇ろに別れの挨拶と感謝を述べました。さらに言えば,単に一人ひとりを平等に扱う,というレベルじゃないんです。彼にしてみれば,一番できない一人こそ,大事なんです。聖書に出てくる「迷い出た一匹の羊を,九十九匹の羊をおいて探しに行く羊飼い」そのものです。病人も一緒です。最大の重病人,最長期の患者が問題です。こういう人を大事に世話をする,あるいは注目する,というのが新島の生き方です。医心館と愛心館ところで,同志社の教育では看護学部はもちろん,他の学部でも心(ハート)がキーワードです。なんといっても「良心教育」をウリにしていますからね。七年前,こちらの京田辺キャンパスに生命医科学部ができました。このとき私に新設する校舎名を考えてほしいという依頼がありましたので,「医心館」という名前を付けました。ドイツ医学は技量や科学が主体,という新島の批判が頭にありましたので,「心」や「精神」を強調したかったのです。医学部で言えば,スキルや受験対策を教えるだけじゃダメですね。「医には心あり」です。仮にこの看護学部棟を依頼されたとしたら,女子大単独であれば,「リチャーズ館」を勧めます。ですが,前に紹介したように,これはすでに使われているので,今ではもうダメです。で,それなら「リンダ館」でしょうか。あるいは,同志社大学との関連を考慮した場合,同じ医療系学部として,同志社大学の医心館に対して,女子大には「愛心館」を提案したでしょうね。生命医科学部とこちらの看護学部が,名前の上でもコラボすればいいな,と願ったからです。「愛心」は,先に紹介した看護学部のサイト(Q&A)でも「愛心を以て」看護を実践することが,強調されていました。もともとは,新島が使った用語です。「精神的の熟練」看護婦について述べた時に,まったくそのおもいもっため新島は「全其の病人の心を思やり,真実の愛心を以て病人の為にする人が入用である」と付け加えています(1一一一)。以上の個人的な思惑や私案は別にして,現実につけられた校舎名は女子大内部のコラボが優先されけいすいそうえんた命名になりました。先行した「憩水館」に対して「蒼苑館」と名づけられました。前者は薬学部棟で,しかもお隣りの校舎です。コラボする相手としては,最適ですね。しかも,ふたつとも「旧約聖書」中の「詩編」二十三編(二節から三節)から取られていますので,よく考えられています。つまり,「主はわた・・・・・・・・しを青草の原に休ませ,憩いの水のほとりに伴い,魂を生き返らせてくださる」(傍点は本井)という聖句を共通の出典としています。もしも命名に難点があるとすると,同志社大学の方に,すでに同音の「けいすいかん」(新町キャンパス。漢字で「渓水館」と表記します)があるというくらいです。43