ブックタイトル同志社看護 第3巻

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概要

同志社看護 第3巻

病院にしろ,看護学校にしろ,新島は医学的にも経営的にも素人ですから,彼ひとりではとうてい作れるような代物ではありません。設立支援に関しては,少なくとも三人の働きが顕著です。新島襄のほかに,J・C・ベリー(J.C.Berry)と中村栄助の働きが不可欠でした。皆さんはベリーや新島の名前はどこかで聞いておられると思います。とりわけベリーは,医療宣教師として岡山で伝道活動をしていたのを新島が強力に要請して京都に招き,同志社病院の院長に就いてもらいます(ベリーの略歴に関しては,『新島襄の師友たち』一一二~一三六頁参照)。ベリーは,病院だけじゃなく,看護学校と医学校を合わせた三点セットの構想を抱いていましたから,まさに新島の医学部構想と重なります。したがって,新島も準備段階から「私はベリー博士の看護学校(Dr.Berry?s school of nurses)が実現するよう尽力しています」と述べているくらいです(6三〇五)。個人的にもベリーは新島にとっては,主治医と言ってもいい存在で,新島が神奈川県大磯で亡くなった時も駆けつけて,最期を看取っています。だから,常日頃から新島の健康についてはやかましいくらい忠告しています。たとえば,「乗馬とか静かな散歩」のようなそれほど激しくない運動をもう少し心がけるように,との忠告です(J.C.Berry to J.H.Neesima,Apr.14,1888,Kioto)。実は新島はこれ以前から乗馬を心がけています。ある手紙には,神戸で静養中に「乗馬を試候処」と記しています(3 708)。ベリーに言われてからは,いっそう努力したはずで,ある学生に乗馬姿を目撃されています。「先生が〔自は宅脇の〕御所の内を折々乗馬で運動せられ,又,四時の〔全校〕体操時間に海老茶色の腕抜きを嵌め,和服に靴を履いて,毎日散歩せられた姿は,今も眼前にちらついて居る」(『創設期の同志社』八二頁)。ベリーの知名度に比して,一方の中村栄助は,「誰?」じゃありませんか。京都の政財界の有力者,しかもクリスチャン実業家で,同志社の理事です。京都府議会議員を経て,衆議院議員にも選出されます。この人がお金集めをしてくれたんです(中村については,『新島襄の師友たち』二二三~二三〇頁を参照)。実は彼は日本人では徳富蘇峰に次いで二番目に多く,新島から手紙を貰った人物なんです。そのほとんどは,学校の経営,とくに募金活動についてです。いかに新島がその面で信頼していたかが分かりますね。看護学校でも創立者のひとりです。リンダ・リチャーズさらに看護学校に特化しますと,もうひとり,リンダ・リチャーズ(Linda Richards)を挙げるべきでしょうね。病院と看護学校ができた百三十年ほど前の日本には,資格をもった看護婦などいません。まして看護学校で教えられる人材は,皆無です。そこで,リチャーズという女性がアメリカから呼ばれました。一教員というよりは,実質的な「校長」(Superintendent。名目的な校長は新島襄)です。彼女は,この業界ではとても有名な歴史的人物でして,「アメリカ初の有資格看護婦」(America?sfirst trained nurse)でネット検索すれば,すぐに出てきます。看護学校を正規に卒業した看護婦としては,アメリカで最初の女性ですから,アメリカでも引っ張りだこだったはずです。それが,いまだ看護の領域ではまったく白紙,というか未開拓な日本に来て,開拓的な仕事をゼロからしようというのですから,あっぱれです。したがって,先の三人に加えて,彼女の名も創業者に加えるべきでしょう。彼女はベリーと並んで外国人としては大黒柱ですから。ここにいらっしゃる一年生も,すでに彼女の名前やプロフィールは授業などでお聞きになっているはずですね。もう少し詳しく知りたい方は,拙著『新島襄の師友たち』(一三七~一四七頁)を参照してください。私は,看護学部が出来る前に,ベリーとリチャーズの功績を称えるために同志社の校舎に二人の名前をつけることを試みました。もう十六年前のことになりますが,琵琶湖のそばの北小松キャンパスに同志社リトリートが三十億円ほどかけて新築,整備された時です。新しく建物が十ぐらい出来たので,これはチャンスだと思って「ベリー館」,「リチャーズ館」を当局に提案しました。が,結果はふたつとも落ちました。「それ誰や」というわけですね。当時はその程度の知名度でした。ちなみに,「深山館」(シだいたくングル宿泊棟)や「大沢館」(ツイン宿泊棟)は当選しました。ところが数年前に,突然「リチャーズ・ハウス」っていうのが同志社大学の一角(御苑の東隣り)に40