ブックタイトル同志社看護 第2巻

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概要

同志社看護 第2巻

京都同志社病院機関誌『おとづれ』第1~3号(1893年)図1 The Doshisha図1 The Doshisha Hospital Messenger京都京同都志社同病志院社「おとづれ」病院「おとづれ」第1(左)~3(右第)号の1(表紙左)~3(右)号の表紙発行兼印刷人の堀俊造(1847-1926)は,岡山出身のクリスチャンの医師で,J.ベリーの招聘に応じて同志社病院の開院から約10年間勤務し,J.ベリー帰国後しばらくは病院代表者としての役割を果たした(本井,2011)。なお,この病院機関誌の発行部数は不明ではあるが,配布先は外来や入院患者,退院した患者,医師や看護教員,看護学生,卒業生などの医療関係者,キリスト教教会員など,病院や看病婦学校に関係した人々であった。これらの人々へ「病院からメッセージを伝えるためのもの」という意味で,Messenger(使者)という名前になったようである(徳川,1998,pp.138)。Ⅳ.病院機関誌発刊の目的病院機関誌発刊に至るまでのいきさつやその理由は,第1号の「発刊緒言」に「今回本誌を刊行するに當り,吾人は只ここに本誌の必要を生じたる所似を略述して發刊の緒言とすべし」とあり,次の2点挙げている。一点目は,「抑も私立同志社病院,及び看病婦學校の京都の地に起りてより,既に五星霜,今や内外の諸事稍々整備し,醫員職員等各其人を得て,患者の来院するもの年々其數を增し,看病婦學校の如きも創立以後来學するもの前后數十名,而して當今既に其業を卒え,各地の病院及び私人の家に聘せられて,實際の働きに從事する者少からず,院内院外に於ける慰問傳道の如きも,主任者の熱心と親愛により,其効果次第に顕著ならんとし,叉頃者市内巡回看護の事に着し,出張施療所を新設する等,事業日を逐ふて複雑に趣くを以て,此に一の機關を設け,各種事業の成蹟を報告し,内外自他の事情を通報すること,極めて必要の事なれり,これ本誌を發刊する所以の一なり。」二点目は,「叉本院設立の趣旨は固より榮利のためにあらず,『己のごとく汝の隣を愛すべし』と云ひ,叉『凡て人に施られんと欲することは,汝また人にも其如くすべし』と云へる,基督の聖訓に遵ひ,主の愛に勵まされて,醫療及看病の事に從事するものにして,只一時人々の疾痛を愈し,病苦を救ふのみならず,本院に來り治を受くる人,及び其家族をして,人身構造の靈妙なるを覺らしめ,生を衛り身を保つの道を教へ,之を慰め之を諭し,叉基督が其病の癒されたる者に向って『見よ汝既に癒たり,行再び罪を犯すこと勿れ』と宣ひしが如く更に靈生の尊重すべきを知らしめ,靈の醫療者,永生の主あるを悟に至らしめんことを希望す,これ本誌を發刊する所以の二なり。」これらから,病院機関誌を通して,病院・看病婦学校が7年目を迎え,診療・看護教育共に軌道に乗り,量的にも質的にも充実しつつある状況を関係者や地域の人々に広く伝え,これから巡回看護などの地域医療を強化し,さらにキリスト教を広めようとしている意向がうかがわれる。Ⅴ.病院機関誌の主な記述内容病院機関誌各号の目次から大別すると,内容的には「論説」と「記事」である。1)医療・看護に関する論説医療の面では,J.ベリーによる「気管支加答亞兒31