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概要

同志社看護 第1巻

同志社看護Doshisha Kango Vol.1, pp.1-7, 2016同志社と看護学教育~学士課程でいかに看護専門職を育成するのか~Doshisha and Nursing Education-Focusing on education of Nursing Personnel in Baccalaureate Degree programs-1岡山寧子),眞鍋えみ子1)Yasuko Okayama,Emiko ManabeⅠ.はじめに2015(平成27)年4月,同志社女子大学において6番目の新しい学部として看護学部(以下,看護学部)が開設された。そもそもこの新学部設立の実際的な動きは,2012(平成24)年12月以降,文部科学省との折衝,設置計画の策定・実施(教育課程,人事,設備・施設,実習施設,規定等)を経て2013(平成25)年5月教授会,法人理事会において看護学部の設置が承認された。その後,2014(平成26)年5月末から6月末にかけて,設置許可申請書を文部科学省へ,看護師学校等指定申請書を京都府庁に提出した。同年10月31日付で下村博文文部科学大臣により学部設置が認可された。この設置準備の経過の中で,いつも中心軸にあったのは「同志社女子大学らしい看護学教育とは何か」である。昨今の看護系学部の設置ラッシュを背景に,「今なぜ看護学部なのか」「特色ある看護学教育とは」など,いかに独自性を示していくかという問いに対する答えでもある。開設してから約1年が経過した今,その答えの具現化に向けて,日々学生達と向き合っていることを実感している。「同志社看護」の創刊に際して,看護学部の未来をつくりあげるcornerstoneとして,改めて,看護学部教育のバック・ボーンとめざす教育について論じたい。Ⅱ.看護学部教育のバック・ボーン同志社には,約130年前,その創立者・新島襄が,日本で2番目に歴史のある看護婦(現・看護師)養成機関である同志社病院・京都看病婦学校を開始した足跡がある。この新島の医療・看護への志,そして具体的にどのような看護教育を実践していたのか,これらが同志社らしい看護学教育のバック・ボーンであると考えている。1)新島襄の医療・看護への志新島は,1864(元治元)年から約10年間欧米で学んだ。帰国後,1875(明治8)年に同志社英学校,翌年に同志社女学校を設立,学問の探求とともに,キリスト教主義に基づき,自治自立の精神を涵養し,国際感覚豊かな人物を育成することを教育の理念とした。また,1886(明治19)年京都看病婦学校・同志社病院での医療・看護教育を開始した。開始当初は,仮の施設であった宣教師館で診療・看護教育がなされたが,翌年1887(明治20)年に,京都府から正式な許可を受けた。京都看病婦学校の設立目的は,「京都看病婦学校設立趣旨」に,「・・・独リ人ノ肉体ヲ看護スルノミナラズ又タ其霊魂ヲモ慰安シ之ヲシテ真ノ平康ト喜楽ヲ得シメント・・・」(上野他,1979,p.393)することのできる人物1)同志社女子大学看護学部Faculty of Nursing,Doshisha Women?s College of Liberal Arts1