です。非常に難しいです。ですから、一般論としては申し上げられません。今日の1時間、このような機会で申し上げるべき問題ではないと思います。もう1回呼んでいただければと思いますが、むしろ、そのときにどのような可能性があるのかということを設定したうえで、議論になると私は思います。大変失礼なご返答で申し訳ないのですが、率直に言って、私はそのように思います。 秦秦 ありがとうございます。人文社会学系の大学院生や教員が少ないので、なかなか、大学がコストをかけて組織的な取り組みを実施するというメリットが小さいので、改革が進みづらいというところがあるわけです。さらに、大学院の遠隔授業、コロナ禍で、少し可能性が見えてきたかのかということも感じるわけなのですが、大学院の遠隔授業の可能性です。現在のところ、経済、経営系はあるのですが、人文社会学系の遠隔授業がほとんど見受けられません。ようやく、鳴門教育大学の大学院で、遠隔教育によるプログラムができたところですが。本学、同志社女子大学が遠隔授業を進めていくにあたって、考慮すべき課題はどういうものがありますでしょうか。 金金子子 遠隔は、遠隔手段ができたから、使えばいいというものではないと思うのです。使って意味があるから、使うのです。今日、50分かけて一生懸命申し上げたことは、普通の授業に遠隔授業を使うということは、非常に意味があります。それは、ただ単に遠隔技術だけではなくて、授業の組み立て自体を変えるから、意味があるのだということを申し上げたのです。それで、遠隔授業を使えば何か意味があるかというと、基本的には、成人相手の場合に、大学に来られないから使えるという問題です。しかし、それであれば、別に使えばいいのです。授業の代わりに、遠隔の授業を使えばいいのです。特に人文系などは、むしろ、一緒に来て、みんなといることに意味があると考える人は、非常に多いのです。これまでの成人大学院は、むしろ、そちらが売り物なのです。他の人がどう考えているかを知りたい、仲間意識を作りたいなど、ひどいところは、何か名刺の交換会のようなことばかりやっています。ですから、遠隔であることによって、どういう意味があるかなのです。 成人向けに遠隔のコースを組む場合、問題は、普通の授業の一部を遠隔でやるのか、それとも、遠隔向けに別のコースを作るのかということです。普通の授業をやるのであれば、別に、大学にとってあまりメリットがないのです。もちろん、来られない人に到達することはできるかもしれませんが、それくらいなのです。その需要がどれくらいあるか、私はよく分かりません。アメリカの大学で遠隔を使っていて、かなり成功しているという例はあります。成人向けの、遠隔向けのコースを作っているのです。授業料を、そこでバッチリ取ります。その代わり、普通の、今までの先生による授業は、あまりやらないのです。遠隔向けの先生を雇うのです。この人たちは、実は給料もそれほど高くないのです。それでないと、遠隔でやったら、面倒を見られないわけです。そのような人たちがいるから、64 Faculty Development
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