ですから、新しい知識や考え方と、格闘するなどという機会になっていないのではないでしょうか。 グループワークをよくやっている学生と、自宅でといいますか、授業外での学習時間との相関関係を見ますと、全く関係がありません。あるいは、少し低い傾向があります。マイナスの相関がある傾向にあります。要するに、グループワークのようなものは、みんな満足して、大学の先生にとってもいいのだと思うのです。授業を一方的にやって、学生につまらない顔をさせるより、学生に生き生きと話をさせたという意味で、実動感があるのかもしれませんが、実は、学習に結びついていないのではないでしょうか。学習に結びついていなければ、成長もしないのではないかといったところに、大きな問題があるのではないでしょうか。 そういう意味で、私は、学生中心になったけれども、学修の中心になったとは言えないのではないかと思っています。 授業改善は、学生には伝わっているということは伝わっているのです。これは別の項目でお見せしませんが、授業に対する不満は、少なくなってはいます。ただし、それが行動に表れていません。学修時間を変えることは、やはり非常に難しいということは、だんだん、余計に自覚されてきました。一つは、やはり4年生で就職活動をするために、1年生から3年生で単位数を全部取ろうとします。教員は、そのような行動に対応しているわけです。暗黙の了解をしています。いってみれば、学生と教員の間で一種のカルチャーがあって、これがなかなか動かないのです。したがって学修時間も、大学の先生は、ある意味一生懸命努力して、勉強させるようにしようとしているわけですが、実は、学修時間を動かすところに至っていないという意味で、非常に大きな問題が残っています。何と言いましょうか、これを残す雰囲気があるということだと思うのです。 48 Faculty Development
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