1 ◆巻頭言◆ FDレポート第16号の刊行にあたり、今年度のFD活動にご尽力並びにご貢献いただきました皆さまに感謝申しあげます。特に、コロナ禍で学んだ知恵を活かし、対面形式のみに拘らずオンラインを用いた開催、オンデマンド配信など多岐の方法を駆使し、果敢に挑み、多くの学びの機会を創出してきました。学部長による「学部FD・アクティブラーニングの取り組みあれこれ」も昨年度に引き続き興味深い内容のものでした。何より、それぞれの活動報告自体にFD活動の本質が散在し刺激的な学びを分かち合うことができました。さらに、本学の学習支援システム「マナビー」を用いた積極的な情報提供を通してFD活動への鋭気を与えられました。 1990年代の初めの「大学設置基準の大綱化」に起因し、FD活動への期待が高まったと言われます。当時、大学自体が変化・変容することが期待され、「大学人の意識改革と不断の資質能力向上のための努力」が必須であるとの理解が広がりました。そのためにも、「大学・学部等の理念・目的を再認識」し、学生、社会、一般市民、さらに高等教育全体に対する責任の明確化が必要であると考えられました。換言すれば、大学自身の社会変革への寄与が期待され、大学人相互のFD(Faculty Development)活動の重要性が指摘されました(清水一彦「大学設置基準の大綱化と大学の変貌」1994参照)。それは、高等教育現場での本質的意識改革の始まりであり、時代の転換期であったと言えます。ご多分に洩れず本学も同様の流れの中にあります。特に18歳人口激減という人口減少社会、加えて昨今のコロナ禍や戦禍を起因とする社会環境の変化は私立大学であり、女性のみを対象としている高等教育・研究機関である実情に鑑み、「意識改革」と「資質能力向上」への弛まぬ努力は喫緊の課題であると言えます。ゆえに、本学でのFD活動は、本学の将来を左右すると言って過言ではありません。 まさに、「改良」と「向上」を目指して、今一度、本学の源流に学ぶ必要があります。創立者新島襄は、教育の本質を「対話」の中に見出していました。柏木議円が「戸毎に説き人毎に諭す」と評するごとく、新島は一人ひとりとの対話を尊重したようです。智の世界は私的に所有できるものではなく、対話の中に創出されるとの真理に拓かれていたのかもしれません。本来、対話は同化を前提としないため、同化し得ない対象を排除する方向へ向きません。ゆえに新島は「我カ校をして深山大沢之如くになし、小魚も生育セしめ、大魚も自在ニ発育セしめ」(横田安止宛書簡:1889(明治22)年)と語り、各人の多様な可能性を尊重すると共に自己の単一的な価値判断基準(大きいとか小さいという尺度)から解放されていました。ゆえに新島は自身と異なる主義主張の人々をも切り捨てることはなかったようです。このような関係性を育むことに教育の本質の一端があり、新島はこれ「「対対話話」」にに基基づづくく学学びびをを求求めめ 学長 小﨑 眞 Faculty Development
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