2012年5月

2012/04/27

 4月5日の創立者墓前礼拝は、あいにくの天候不良で前半2組のみが行われました。この機会に、本学の創立者からのメッセージについて考えてみました。若王子山の墓地には、天王町から山道を歩くこと約15分かかります。山の中の墓地は、町中の騒音を後にして歩いたせいか、とてもすがすがしく思われました。この新学期の忙しい時期にもかかわらず、心の落ち着きとともに建学の源に触れるというワクワクとした昂揚感が湧いてきます。墓地には本学の創立者である新島襄をはじめ、新島と志を共にした人、志を受け継いだ人、新島の家族や新島が愛した人々が眠っています。本学が創立されて135年を経た今もこの墓地には、本学の新入生のみならず、毎年多くの人々が訪れて祈りを捧げています。墓地には時空を超えて人々を引きつける力、何らかのメッセージ性があるにちがいない。ふと思い出したのは、イエスの弟子であったペトロが殉教した地に聖ピエトロ寺院が建てられ、世界中から多くの人々が訪れ続けている事実でした。お墓には時を超えてメッセージを放ち続ける力があるに違いない。なぜなら死んだ時点でその人の人生は強烈なメッセージ性を持つからなのではないか。人はどのような人生を歩んだとしても、当然のことながら死んだ時点でその人生が完結します。いくら未完成の作品であっても、タイトルがつけられ、人々に伝えられていくことになります。肉体は死によって失われるが、精神は残るといわれます。お墓には、その精神に通じるチャンネルがあるのでしょうか。別な見方をすれば、この墓地は、眠っている人々にとって人生の終着点ですが、残した精神はここを訪れる我々同志にとっての出発点となりますし、また、これからの活動の原動力を与えてくれる場所にもなっています。135年もの間、実に多くの人々に感動を与え、本学の発展を推進させてきた強烈なエネルギーの源がここにあることになります。創立者からのメッセージとはどのようなものなのでしょうか。それは、キャンパスのあらゆる場面に組み込まれているといってもいいでしょう。メッセージは礼拝や奨励で聞くことばであったり、建物やキャンパスの中に刷り込まれていたり、大学内で行われる様々な活動にその心が伝えられているでしょう。そして、そのメッセージには明快な答えや説明が用意されているわけではないことも事実です。たとえば、新島が残したことばに「良心ノ全身ニ充満シタル丈夫ノ起リ来ラン事ヲ」とありますが、「良心の充満」とはどういうことでしょうか。キリスト教主義、国際主義、リベラルアーツを行うにはどのようにすればよいか。実は、これらの建学の精神に対するこたえは、我々の中で自らが作り、積み上げていくものではないでしょうか。

 創立者墓前礼拝は、新島襄やその協力者の生涯の歩みや同志社の歴史を想い興し、見えざる御手の導きに感謝を捧げる祈りでもあるわけですが、この祈りによって新島襄の志をともに受け継いでいこうという決意を新たにすることができるに違いありません。                                                     

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