2020年6月 今月のことば

2020/06/01

イエスは言われた。「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない。戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである。」

(ルカによる福音書 21章8節~9節)


「忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」

(ルカによる福音書 21章19節)
日本聖書協会『聖書 新共同訳』より

『見えないものに目を注ぐ』という年間テーマに決定したのは、新型コロナウイルスの流行を中国のニュースとして受け止めていた頃だったと思います。皮肉なことに、私たちは今、見えないウイルスとの戦いのさなかです。この見えないウイルスとの戦いは、正しい知識と想像力、思いやりと忍耐を必要とします。

正しい予防法を知って、自分が感染していたとしたらこの行動はどういう影響を与えるかを想像する、目に見えないウイルスはここに、そこにいるかもしれないと想像する、自分を守るだけでなく、他人に感染させないためには、また、社会を守るためにはどういう行動をとるべきか、周りのことを思いやる、そして、そのために今まで当たり前だった自由な生活を自ら制限し、耐える。今、私たちが試されているときなのかもしれません。

保健医療従事者が悲鳴を上げているというニュースが流れます。第一線で人の命を守り、感染リスクの脅威にさらされている人たちを見るとき、ただただ感謝と敬意の念を覚えるとともに、私たちに何ができるのかを考えざるを得ません。まずは、感染しないこと、感染させないこと、そのための行動をとる、これに尽きるのではないでしょうか。

感染した人が差別を受けるというニュースが流れます。ウイルスは目に見えませんが、敵はウイルスであって人ではありません。望んで感染した人はいないでしょう。どんなに気をつけていても誰にも感染のリスクがあることが想像できれば、あるいは自分もすでに感染しているかもしれないことが理解できれば、感染者の一日も早い回復を祈るばかりのはずです。

阪神淡路大震災で、東北大震災で、そのほかさまざまな大事故や大災害があるたびに、つい当たり前に感じてしまう日常は決して当たり前ではなく、本当に恵まれたことなのだと感じさせられました。そして、今まさにこの世界的大災害である新型コロナウイルスの流行は、この日常と家族と自分を取り巻くすべての人、社会の存在を見つめなおす機会になりました。病院も学校も保育所も高齢者施設も小売店も、保健医療従事者、マスクや防護服の工場で働く人、介護従事者、トラック運転手・・・、普段は目に入っていなくても、直接お世話になっているという自覚がなくても、私たちの日常を支えている大切な存在です。これらの施設や人々に改めて目を注ぎ、自分がその人々に支えられていることに感謝したいと思います。

何よりも本学にかかわる皆さんとその大切な人々の健康を祈ります。また、感染した人々の回復と、彼らを支えている人々の健康、そして、一刻も早い収束の日が来ることを祈ります。大学にみなさんの元気な笑顔が満ち溢れる日が早く来ますように。 (you will save yourselves)